自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その6 わざとらしい

知り合った当初から、ちょっとオーバーだなぁ、とは思っていた。

でも、すべてのことではないし、いつもそんなにオーバーでもないし、

と、考えていた。

こういう人なんだよ、

この人の個性だよ、と、思っていた。

 

その時は、ここまでだとは、思ってなかったから。

 

一緒に生活して、子供が生まれて、それがどんどん目についてきた。

でも、そう考えてしまう私はなんて酷いんだ、と思い直していた。

結婚した相手に、その相手に対して、その人の癖や性格に

難癖つけるなんてしてはいけない、と、思っていた。

だって、私だって相手にとっては受け入れがたい癖や性格があるだろうから。

 

それでも、どうしても思ってしまっていた。

 

今になってわかることだが、あのわざとらしさは、

本当にわざとらしくやっているものなのだ。

同情や関心を引くためだけにやっているわざとらしさなのだ。

 

相手はいつも体の不調を訴える。

これは昔からそうであった。

結婚した当初、私は親身になってお世話をした。

大丈夫?

あまり無理しない方がいいよ。

ゆっくり休んでね。

と、お決まりではあるが、必ずこれらの言葉を掛けていた。

 

耳鳴りがする、腰が痛い、と、相手はいつも言っていた。

病院に行きなよ!と、私は言った。

病院に行ったところで、治らないんだ!と、相手はいつも答えていた。

俺の症状は、大変なものなんだ!と、言って、

こちらが聞こえるところで、ゼイゼイハアハアと苦しんでいる声を出していた。

 

酷い症状と言いつつ、病院にも行かず、治す気もない。

そして、相手にとって何か楽しい場面のときには、

その酷いと思われる症状は影を潜める。

 

単純に、日々の労働力を考えたら、

無職の相手に比べ、私や子どもたちのほうが、かなりの労力を使っている。

それでも相手は、私と子どもたちに、

ゼイゼイハアハア言ってくる。

もう私たちは同情も関心も持ち合わせてないのに。

 

腰が痛いから仕事ができない、と、私に言う。

私は在宅ワークで、腰を痛める仕事でもない。

貴方も在宅ワークで、何かすれば?と、提案したこともあった。

腰に負担がかからない仕事をしたら?と。

 

お前は俺がどんなに辛いから分からないから、

そんなことが言えるんだ!と、相手は怒る。

だったら、とっとと病院に行けばいいのに!と、思うが、

それを言うとまた、

俺の症状は複雑なんだ!みたいなことが返ってくる。

 

結局、何がしたいのか?

 

ひとえに、構ってほしいのである。

同情して欲しいのである。

特別扱いされたいのである。

可哀想に…でも頑張って偉いわね!と言う言葉が欲しいのである。

 

本当に痛かったら、本当に治したかったら、

人はそれなりの対処をするはずである。

しかし、相手は何もしない。

ただ、ゼイゼイハアハア言っているだけである。

 

それ以外でも、全てにおいてわざとらしい。

 

コーヒーをこぼしただけで、大騒ぎになる。

これは、私にこぼれたコーヒーの後始末をして欲しいからである。

 

また、どうでもいいことを、あたかもすごいことを成し遂げたような演技をする。

例えば、子供の飲み薬を測るとか、そんなことだ。

私の目の前で、薬をおもむろに取り出し、きっちりと測る!

これだけのことを、わざとらしくやる。

これは、感謝の言葉が欲しいのである。

または、俺は立派な父親と思われたいのである。

 

もちろん、これは自分の薬でも同じだ。

私が見えるところで、わざとらしく薬を飲む。

俺は弱ってるんだぞ!アピールである。

しかし、友達から遊びの誘いが突然来ると、いそいそと出かけていく。

 

腰が痛いとか言われても、もはや私にとってはどうでも良いのに、

相手はまだ訴えてくる。

 

これは、俺はこんなに可哀想なんだから、離婚しないでくれ!ということだ。

 

相手のわざとらしい演技、私にはもう全てお見通しである。

 

相手は、ずっとこの調子で生きてきた。

だから、これがわざとらしいとは、思っていない。

これが、相手にとって、普通のことなのだ。

 

自分で気付くことができない。

これが、自己愛性人格障害者は治療が難しい、と言われる要因の一つだと思う。

 

でも、私たちは、それに同情してはいけないのである。

同情しても、決して報われない。

時間の無駄である。