自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その8 神をも超越?!

私が住んでいるこの国。

相手の故郷であるこの国は宗教をとても重んじている。

それ自体は、私は悪いことだとは思っていず、

むしろ良いことだと思っている。

日曜日には多くの国民が教会に行き、祝日も宗教に関するものが多い。

私は神やら宗教やらを、そんなに、個人的にはあまり気に留めてないが、

そういう国やその国民の在り方には敬意を払っている。

 

相手ももちろんこの国の国民であるので、

この国が重んじている宗教を信じている。

最初はその姿勢に心を打たれた。

私にとって未知の世界であった宗教の話は、面白かったし、ためにもなった。

 

しかし、これもまた、日を追うに連れ、

どんどんと違和感が芽生えた。

 

一言で言えば、相手は、

俺が神だ! と、信じているのだ。

いや、さすがに神ではないと思ってるかもしれないが、

俺だけが神と繋がっている!

という事は、間違いなく信じている。

実際に、それを何度となく言ってきている。

 

相手は夢をも信じる。

悪夢を見れば、悪いことが起きると信じ、

良い夢を見れば、良いとこが自分に起こる、と信じている。

 

離婚したいと、私が告げてから、そろそろ一年になるが、

相手は私にこう言ってきたことがあった。

 

お前は俺の知らないところで男がいるんだな!

俺は知ってるぞ!

なぜなら、俺は今、その夢を見たからだ!

 

これを真顔で言ってくる。

 

子どもたちに関してもそうだ。

 

夢の中で、

子供が迷子になった!

目を離してはいけない!

 

 夢の中で、

子供が、○○に殴られた。

○○は、子供に嫉妬してるんだ!

 

夢のことまで、私は対応しなくてはいけないのだ。

相手は真顔で、真剣に、悪夢の場合はまるでこの世の終わりかのように、

良い夢の時は全てが上手くいくと自信満々で、夢での出来事を話す。

シラケる私に、相手は更に爆発する。

そして、この決め台詞で、相手は締めくくる。

 

どうせお前には分からないんだな。

でも俺はお前とは違うんだ。

俺には全てが分かるんだ!

俺を馬鹿にすると、天罰が下るぞ!

その時になって、俺に赦しを請いても、遅いからな!

恨むなら自分を恨むんだな!

 

子供がテストで良い点を取ると、

俺が祈ったからだ!という。

(俺が教えたからだ!というパターンもあるが)

 

私達が病気になると、祈る。

何もしないで、祈る。

祈りが効かないと分かったところで、やっと病院に連れて行く。

 

しかし、自分が病気になると、祈らない。

大袈裟に怯えて、重病な病人を装い、

俺に構ってくれ!

俺を労ってくれ!光線を出し続ける。

病院にも一目散で行く。

薬もたんまりもらってくる。

祈ることは、しない。

 

私が仕事で上手くいった時、

子供が試合に勝った時、

車の渋滞が解消された時、

遅れそうだった約束の時間に間に合った時、

何でもかんでも

俺が祈ってやったからだ!という。

 

私や子供たちの頑張りは、そこには存在しない。 

そのことに私はとても心を痛めていた。

 

子供が頑張っても、

俺が祈ってやったからだ!

(だから感謝しろ!)

という態度に、本当に嫌気を覚えていた。

子どもたち、特に多感な時期の長男は、

そのこともあって、やる気を失っていったように感じていた。

 

どうせ、神様とやらが助けてくれるんだろ!?

と、吐き捨てるように言い、勉強からどんどん遠ざかっていってしまった。

 

そして、勉強しない長男に、相手は怒り、殴った。

そして、私にもあらゆる限りの暴言を、相手は吐き続けた。

 

その都度、私も長男のようにこう返していた。

神に祈れば、全て解決してくれるよ!と。

相手は、それを聞いて更に怒っていた。

 

相手は、神を信じると言いつつ、

教会に行かない。

宗教を重んじていると言いつつ、

怠惰な生活を続けている。

そして、人の悪口を言い、自分は素晴らしい人間だと豪語する。

そこには、謙虚な姿はどこにも存在しない。

 

俺は良いんだ!

神と俺は繋がっているのだから。

俺には全てが見えるんだ!

神が全部、俺に教えてくれるんだ!

 

私も子どもたちも、もう宗教にはうんざりしている。

それでも、相手はそれには気づかず、

いやむしろ、躍起になって

毎日毎晩、youtubeで見つけた宗教音楽を流し続ける。

いつの日か、私たちが神に恐れを抱いて、

神の話をし続けている相手にひれ伏すと、相手は信じている。

 

相手が言うところの、相手にとって調子のいい神を、

私たちが恐れおののく日が来ると、相手は信じている。

 

お母さんは、神様信じる?

と、子どもたちは私によく訊いてくる。

 

お母さんは、信じてるよ。

でも、お父さんが言う神様は信じてないけどね。

神様はみんなに優しいと思うよ。

でも、神様のお陰であなたのテストが良かったとは思えないよ。

それは、あなたが頑張った結果だよ。

それに、あなたのテストの面倒を見るほど、神様は暇じゃないと思うよ。

 

 

私が仕事が見つかったのは、俺がいつも祈ったからだ!と、相手は言う。

俺が祈らなくなったら、お前の仕事なんて、すぐに無くなるからな!

覚えてろよ!と、相手は叫ぶ。

 

私のことは祈らなくて良いから、

貴方が仕事が見つかるように神様にお願いしたほうがいいよ!

と、私は長年無職の相手に嫌味たっぷりに言う。

 

俺の仕事は特殊なんだ!

俺にしか出来ない仕事、俺にふさわしい仕事を、

そのタイミングと一緒に神様は、見つけてくれるんだ!

神の力を信じないお前はツベコベ言うな!

今に見ていろ!

神の力の偉大さを、お前はそのうち知るからな!

 

自分の無職を、怠惰な生活を正当化するために、神様を使うのだ。

なんと都合のいいことだろう!?

 


何とかしてでも、私の離婚を阻止したい相手は、

毎日、こちらに聞こえるように大声で祈っている。

そのことによって、私が気持ちを改める、と思っているようだ。

 

神を信じるなら、真の信者なら

Forgive and Forget (赦し、忘れる)を実践するのが、

正しい在り方だ、と言ってくる。

 

相手にこう言われた時、私はこう返した。

 

分かった!

Forgive and Forgetね!

じゃ、あなたのこと赦すよ!

そして、あなたを忘れるよ!

だから貴方も、私の離婚を赦して、

私を忘れてちょうだい!

 

相手は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

そして、こう返してきた。

ダメだ!離婚はダメだ!

家族は一緒にいなければいけないのだ。

それこそが、神の教えであり、

信者としての正しい在り方なのだ。

 

私も返す。

私は、信者として失格だね。

こんな私を赦して、忘れて!と。

 

 

私はすでに相手の事は、忘れた。

赦すか、赦さないかでもない。

赦すことも、赦さないことも、忘れた。

信者としての正しい在り方と言うのもどうでもいい。

この国の離婚率は極めて高い。

この国の宗教もそれを認めているのが事実だ。

 

私は、私なりのForgive and Forget を遂行したと思っている。

 

そして、神が本当にいるのなら、

私のこの姿勢に神は怒りはしないだろうと思う。

 

まあ、こんなどこかの誰かの離婚劇を気にかけるほど、

神様はそんなに暇じゃないだろう。

 

自己愛性人格障害者と言うのは、

このようにあらゆる事象を、

自分の都合のいいように書き換えるのである。

 

自己愛性人格障害者の前では、神様も彼らの都合の良い人物に変化する。

見えないものほど、彼らにとっては好都合なのである。

自由自在に神そのものを操り、

そして、それを使って自己愛性人格障害者と関わってしまった人々を

自分の思うように、自由自在に言葉巧みに操るのだ。

 

全ては自分が常に優位に立つために。

 

相手は今日も、神に祈る。

全てが自分の思い通りになるように。

全てを自分の思い通りにするために。

 

ひたすら、自分が作り上げた神に祈る。