自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その7 感謝はしないが感謝を要求

自己愛性人格障害者の人と長く暮らして分かったこと。

 

裏表がある。

当の本人は、まさか自分が裏表があるとは自覚してないだろう。

 

初対面の印象は、とても良い。

物腰柔らかく、聞き上手で話し上手、

場を盛り上げるのも上手いし、人への気遣いもさり気なく、そして的確である。

誰もが、いい人ねぇ!と思う。

それが自己愛性人格障害者である。

 

しかし、それは違う。

当の本人はそうは思っていないのだが。

 

私が今、離婚しようとしている相手もこうである。

初対面の良さは素晴らしい。

誰もが、また会いたい人!と、思うことだろう。

しかし、それを続けていくと、なぜかみんな去っていく。

数回会って、みんな消えていく。

 

相手は怒る。

俺はこんなにみんなに尽くしてやったのに、

色々してやったのに、あの態度はなんだ!と。

 

尽くしてやった?

してやった?

 

何をしてあげたの?と、私は訊く。

相談に乗ってやった!と、相手は言う。

 

貴方もみんなのお世話になったよね?

できないこと、助けてもらったよね?と、私は尋ねる。

あいつらはそれが出来るんだから、当たり前だろ!

友達なんだから!と、相手は憮然と答える。

 

俺はこんなに尽くした、みんなのことを考えてやった、

と、いうのが相手の言い分で、

それの感謝がない!と言うことらしい。

 

しかし、みんなが相手にすることは、すべて当たり前のことだ、と言う。

なぜなら、相手が頼むことはみんなができることで、

大したことないことだからだ!と、言う。

 

相手はコンピューターの扱いがよく分からない。

履歴書の書き方も分からない。

私は手伝いたくはなかった。

手伝うと、すべてをやらされるのはわかっているし、

もし相手の思い通りのものができないときには、

何度もうるさくダメ出しが出るからだ。

 

こんなのは、自分の仕事に関わるんだから、

自分でできるようになったほうがいいよ!

と、私が言おうものなら、

これは、俺の仕事じゃない!

履歴書は誰だって作れるのは分かってる。

でも俺はコンピューターが苦手なんだ。

簡単ならお前がやればいいじゃないか!

簡単なものなら、ちゃちゃっとやってくれれば、

俺もお前も仕事がすぐに終わるじゃないか!

誰かが苦手なことをサポートするのが、正しい人間じゃないのか?!

と、私に詰め寄る。

 

何度か、いや、何度も、手伝った。

できないことが多い相手に、私は色々やった。

感謝の言葉は一応言われたのかもしれない。

でも、そんなことよりも、色々とできるようになってほしかったので、

次からは自分でやってね!と、よく言っていた。

 

しかし、相手はしなかった。

 

また、出来ない! わからない!

俺の得意分野じゃない!と、私に小言を言った。

 

私はいつからか、手伝うのをやめた。

子どもたちにも、出来ないことは何度か手伝って、

あとは自分たちでやってもらうように促してるのに、

大の大人が、ましてや子どもの親が、出来なーい!わかんなーい!

とは、あまりにもあまりにも情けないからだ。

 

そんな私に対して相手は怒る。

 

しかし、それでも手伝わない私に、

最後は、相手は知り合いをあてにして電話をする。

 

私は、その知り合いの方々に申し訳なく思いつつも、様子を伺う。

知り合いの方々は、ただ頼まれたことだけをやって、すぐに帰る。

お茶をしたり、雑談したりわけでもなく、すぐに帰る。

 

そういうことなのだ。

もう誰もかも一緒にいたくないのだ。

必要最低限のことだけやって、あとはもう関わりたくないのだ。

優しくしたら、仲良くしたら、また頼まれるのを知ってるから。

当然のように、手伝わされるのを分かってるから。

相手は、それが当然で、覚えようともしないから。

本当は、俺だってできるけど、君に頼んだほうが確実だから!

という態度にみんな、うんざりしてるのだ。

俺だってできるけどね…と言って、

手伝ってくれる人を見下す相手にうんざりしてるのだ。

そして、手伝っても、感謝されないのもわかってるから。

みんな、別に感謝が欲しいわけではないと思う。

でも、当たり前のように手伝わされるのに、

いつの日かみんな疑問に思ってしまうのだ。

だから、みんなはとっととやって終わらせて帰るのだ。

 

私と子どもたちはとっとと帰る場所がない。

うんざりだけが募る毎日だ。

 

俺は感謝している、と、相手は私に言う。

しかし、相手は全ての人を悪く言う。

頼む内容によっては、その道のプロの知り合いに頼むこともある。

こういう場合、その知り合いは当然ながら、自分のサービス料を相手に請求する。

相手は、もちろん!という顔つきで、にこやかにお金を払う。

こんなに安くしてもらって助かるよ!などとも言う。

しかし、その知り合いが帰ると、態度が豹変する。

あのくらい、ただでやってくれたっていいだろ!

まさか、お金を請求するとは思わなかった!

なんて、がめつい奴なんだ!

いつか、必ず酷い目に遭うぞ、ああいう奴は!

などと、言い始める。

 

感謝などしてない。

 

俺が出来ないことは、できる奴がすればいい!

俺だってできることがあれば、みんなにやってやってるのだから!

と言うことなのだ。

 

しかし、相手ができることはほぼ無い。

あっても、それはだれでもができることである。

 

子供の宿題を、相手は見る。

宿題が終わると、相手は子供に、

「お父さん、ありがとう、は? キスもしろ!」と、要求する。

 

子供は私に言う。

「お母さんは、僕に宿題を教えてくれると、

偉いわね!よくできたわね!っていうのに、

お父さんは、ありがとうを言えって言ってくるよ。

僕に、頑張ったね!とか言ってくれないよ。

僕、ありがとう!ってちゃんと言ってるのに、何度も言わされるよ。」

 

出来ることをするのは、人として当たり前のことだ!と言う相手は、

息子に勉強の手伝いをしたことの感謝をしつこく迫る。

 

子供は、できることなら、私と宿題をしたい、と言ってくる。

私は、この国の言葉がうまくない。

算数は教えられても、国語は教えられない。

ごめんね、と、私は言う。

子供は、

いいよ、お母さん。いつもありがとう!

と、言う。

 

感謝の言葉は、自ずと出てきてこそだと思う。