自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その4 可哀想な自分を演出

タイトルに、私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴‥と書くのは、

もしかしたら、他の自己愛性人格障害者とは違うからかもしれない

と思っているからだ。

もし違ってたら、それはその人たちに申し訳ないから、タイトルには

私が知ってる、と書かせてもらっている。

 

さて、本題に話を戻そう。

私が知ってる自己愛性人格障害者は、自分のことを

とても可哀想な人間だと思っている。

それでも、その厳しく悲惨な状況の中で(と、本人が思っているだけだが)

頑張ってきた!と言う。

 

確かに、可哀想なところは無きにしもあらずではあった。

戦争で実家を取られた。

成人になる前に両親を立て続けに亡くした。

それらは、可哀想だと思うし、

それでもその状況でよく頑張ってきた、と思った。

知り合った当時は本当にそう思ったし、結婚してからの数年もそう思っていた。

温かい家でのご飯なんて、本当に久しぶりだ!などと言われれば、

相手が喜ぶであろう料理をたくさん作った。

相手が誰かのことを、あいつは俺のように苦労してないからな、とでも言えば

何も疑いもせず、誰かを批判するのが悪いこととは感じずに、相手を擁護した。

 

しかし、これもそのうちどんどん違和感を覚えるようになった。

いつまで、その話をするんだ?と思うようになった。

 

結婚したばかりのときは、お互いに若かったので、

私はもちろん他の人も相手の話に同情した。

色々と優しい言葉を掛けたり、何かしらの特別な配慮をして、相手を助けた。

相手はそれを特に感謝するわけもなく、当たり前のように受け取った。

 

この、感謝をしない、というのも、

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴、だと思うので、

これに関しても追々書きたいと思っている。

 

感謝をしない相手に、とても違和感を覚えたが、

やはり早くに両親に先立たれたので、

辛いことが多すぎたのだろう、と解釈していた。

私には知る由もない苦しみや悲しみがあったのだろうと、解釈していた。

 

しかし、長年これを引き合いに出されると、

さすがにもういい加減なんとかならないのか?

と、思うようになった。

 

相手はもう若くない。

50をとうに過ぎた男である。

結婚生活も軽く10年は越える。

 

そんな大の大人が、両親がいないことを言ってきても、

もはや誰の心にも響かない。

私は小学一年生のときに、父親を亡くしている。

その時の、周りの大人の手厚すぎるほどの気遣いと、心遣いを鮮明に覚えている。

正直、あまり嬉しいものではなかった。

腫れ物として扱われている感じがあったからだ。

子供の頃は、クラスの先生が変わる度にその話をしなくてはいけなく、

その都度、私は、

可哀想に‥偉いわね‥などと言葉を掛けられてきた。

 

大人になってからは、そんなことが減ったのでホッとしたものだ。

だって、大人の年齢になれば、

そんな境遇の人はたくさんいるから。

 

しかし、相手にはそれがわからないらしい。

いつまでも、いい歳になっても、可哀想な自分を語る。

 

世の中には、もっと辛く悲しく大変な思いをして生活してる人が

いるにも関わらず、なんて可哀想な俺、を相手は延々と語る。

 

そして、可哀想な俺を、可哀想と同情しない人を批判する。

あいつらは、俺の苦しみが分からないからあんなことを言えるんだ!

あいつらが同じ目に遭ってたら、きっともっと悲惨だっただろう。

俺みたいに頑張れなかったはずだ!

などなど。

 

なぜ他人を批判するのか分からない。

そして、なぜ他人を蔑むのか分からない。

いつまで、過去の話をしてるのだろうか?

そう思うようになってきた。

 

私が相手に対して起こした、家を出ていってもらう裁判でも

相手は反対弁論にこのことを書こうとしていたメモを見つけた。

でも、この部分は反対弁論には書かれてこなかった。

相手の弁護士も、さすがにこれは

特に申し上げることでもない、と思ったのだろう。

 

いい歳した男が、

僕はお父さんもお母さんも早くに亡くしました、

なんてことはさすがに、もはやそんなに重要ではないのである。

 

周囲の人々も、どんどん去っていった。

相手は新しく知り合いになった人に、その話をする。

誰も特に同情しない。

相手は同情されないことに、腹を立てる。

そして、また人が去っていく。

 

もちろん、私も同情してない。

それを、相手は非情だと言う。

 

非情で結構である。

ずっと自分を可哀想に思ってれば良い、と心底思う。

50過ぎた大の大人が可哀想とは!

そんなことにしか、自分を演出できない相手を私は情けなく思う。

情けなく思う、というか、滑稽に思うというか‥

 

まぁ、どうせ、こちらが何を言っても、相手はこの演出をやめないだろう。

一度でも二度でも過去に同情されると、

それが嬉しいのだ。

そして、それを武器として使うのだ。

全ては特別な配慮を受けるために。

自分にはそれを受けるのは当然だと、相手は本気で思っているのだ。

 

これが、私の知ってる自己愛性人格障害者の特徴である。

他の方も同じような感じだろうか?