自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私にもあった自己愛

元々は、(一応、今でも)結婚相手だったわけなので、

最初はとても惹かれたところがあった。

そして、私の性格とも似ているところがあった。

私も自己愛的な部分が少なからずあった。

 

本当は自分はできる人間である。

ただ周りの環境が悪いだけ。

場所や人間関係を変えたら、それが証明される。

みんな、私のことを分かってない。

 

そんな風に思っていた。

俗に言う中二病をこじらせたものだろうか‥

私は何かにつけて、周りのせいにしていたところがあった。

 

そのときに出会ったのが相手であった。

私は相手の話に共感した。 

 

そうだよ!

あなたはここでくすぶってはいけない!

あなたを評価しない周りは愚かだ!

みんなが分からなくても、私は分かる!

 

などと相手によく言っていたものだ。

 

一緒に生活するようになり、違和感を覚えだした。

私はとことん否定された。

一緒になる前は、私を評価していた相手は、

私のことを、お前は何もできない女だ!と言い始めた。

 

お前にはわかりっこないことだ。

俺には俺の考えがあるんだ。

お前と俺とは能力の違いがありすぎるんだよ!

などと言われた。

 

私の自己愛は、日に日に小さくなっていった。

それに対し、相手の自己愛は増幅した。

どんどんどんどん膨らんでいった。

そりゃそうだ。

私が相手の言うことを全部信じ、口をつぐんでしまったのだから。

 

相手の自己愛は、本当に強くなっていった。

自分にとって、目障りな人は陰でとことんこき下ろした。

悪口を言いまくった。

私は悪口が嫌いだ。

嫌いなら接しなければいい、というスタンスだ。

しかし、相手は悪口を言うつつも、その人たちと会うことをやめない。

自分が嫌いでも、周りからは嫌われたくないのだ。

そして、自分より格上と思う相手には、

笑顔を振りまき、媚を売った。

そういう時は必ず、実は自分もかなり凄い人間なんだぞ!

というアピールをしていた。

でも今は不景気で云々‥という言い訳をつけながら。

 

私の紹介は、ただの妻、ただの母親、だった。

相手の仕事が完全になくなり、

私が仕事を始め、その仕事が順調になっても

その紹介方法は、変わらなかった。

 

私はもうその時には、どうでもいい、と思っていた。

私がなんて紹介されようが、どうでも良かった。

また相手が自分のことをとても凄い人物だと振る舞ってるのも、

本当にどうでも良かった。

 

仕事を始める前までには、私はすっかり自分のことを大したことない人だと

思うようになっていた。

お前なんて、ただ家事と子育てしかしてないだろ!と言われ続けていた。

子育ては、本当は辛いときもあった。

でも、お金にならない仕事は仕事じゃない、

自分の子供の面倒を見るのは母親の義務、

と、暗黙の了解を突きつけられていた。

仕事を始めた時も、そんな感じだった。

お前の仕事なんか、大したことない!と言われ続けていた。

私も、私なんかが仕事なんてできるのか?と、常に自信がなかった。

しかし、驚くことに私の仕事は、幸い順調に広がりを見せた。

でも、これも相手から

俺がいつも祈っていたおかげだからだ!

お前の実力ではない!

と、言われ続けてきた。

そして、馬鹿な私は、その言葉を信じ、相手に感謝していた。

 

私は全くの自信がない中で、

全力で取り組んだ。

もっと自分に力をつけたいと思い、資格も取った。

家事を疎かにしたら、そこを突かれるのは分かっていたので、

家事も手抜きをしなかった。

私は、頑張ればこんな私でもできる、という事を知るようになっていった。

 

それでも、自信はなかった。

私なんて、大したことないって常に思っていた。

そんなある日、子供たちが私に言った。

「お母さんのしてる仕事、すごくカッコイイ!僕、友達に自慢してるんだー」

驚いた、そして嬉しかった。

ご近所さんや、仲良くなったお友達にもこう言われた。

「もっと自分に自信を持ったほうが良いよ。

貴女は、なんでも出来る人よ。」

私は嬉しかった。

周りの評価など考えたこともなかったし、

そして周りが私をこんな風に見てくれてるとは思ってもいなかった。

今でも、私は大したことない、と自分のことを思っている。

でも、大したことないから、頑張ろう!と思っている。

 

昔の私だったら、

当たり前でしょ!あなた達とは違うのよ!

と、うちに秘めた自己愛で周りを見下したかもしれない。

 

私にもあった自己愛を、

私は客観的に見れるようになり、

そして、それに決別した。

 

私にあった自己愛は、相手のそれに比べたら

小さいものだったと思う。

相手の自己愛は、しかしなから、きっとこれからも、

小さくなることはもちろん、

治ることもないだろう。

 

もうウンザリだ。

私は相手の自己愛に、

もうこれ以上、振り回されたくない。