自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その8 神をも超越?!

私が住んでいるこの国。

相手の故郷であるこの国は宗教をとても重んじている。

それ自体は、私は悪いことだとは思っていず、

むしろ良いことだと思っている。

日曜日には多くの国民が教会に行き、祝日も宗教に関するものが多い。

私は神やら宗教やらを、そんなに、個人的にはあまり気に留めてないが、

そういう国やその国民の在り方には敬意を払っている。

 

相手ももちろんこの国の国民であるので、

この国が重んじている宗教を信じている。

最初はその姿勢に心を打たれた。

私にとって未知の世界であった宗教の話は、面白かったし、ためにもなった。

 

しかし、これもまた、日を追うに連れ、

どんどんと違和感が芽生えた。

 

一言で言えば、相手は、

俺が神だ! と、信じているのだ。

いや、さすがに神ではないと思ってるかもしれないが、

俺だけが神と繋がっている!

という事は、間違いなく信じている。

実際に、それを何度となく言ってきている。

 

相手は夢をも信じる。

悪夢を見れば、悪いことが起きると信じ、

良い夢を見れば、良いとこが自分に起こる、と信じている。

 

離婚したいと、私が告げてから、そろそろ一年になるが、

相手は私にこう言ってきたことがあった。

 

お前は俺の知らないところで男がいるんだな!

俺は知ってるぞ!

なぜなら、俺は今、その夢を見たからだ!

 

これを真顔で言ってくる。

 

子どもたちに関してもそうだ。

 

夢の中で、

子供が迷子になった!

目を離してはいけない!

 

 夢の中で、

子供が、○○に殴られた。

○○は、子供に嫉妬してるんだ!

 

夢のことまで、私は対応しなくてはいけないのだ。

相手は真顔で、真剣に、悪夢の場合はまるでこの世の終わりかのように、

良い夢の時は全てが上手くいくと自信満々で、夢での出来事を話す。

シラケる私に、相手は更に爆発する。

そして、この決め台詞で、相手は締めくくる。

 

どうせお前には分からないんだな。

でも俺はお前とは違うんだ。

俺には全てが分かるんだ!

俺を馬鹿にすると、天罰が下るぞ!

その時になって、俺に赦しを請いても、遅いからな!

恨むなら自分を恨むんだな!

 

子供がテストで良い点を取ると、

俺が祈ったからだ!という。

(俺が教えたからだ!というパターンもあるが)

 

私達が病気になると、祈る。

何もしないで、祈る。

祈りが効かないと分かったところで、やっと病院に連れて行く。

 

しかし、自分が病気になると、祈らない。

大袈裟に怯えて、重病な病人を装い、

俺に構ってくれ!

俺を労ってくれ!光線を出し続ける。

病院にも一目散で行く。

薬もたんまりもらってくる。

祈ることは、しない。

 

私が仕事で上手くいった時、

子供が試合に勝った時、

車の渋滞が解消された時、

遅れそうだった約束の時間に間に合った時、

何でもかんでも

俺が祈ってやったからだ!という。

 

私や子供たちの頑張りは、そこには存在しない。 

そのことに私はとても心を痛めていた。

 

子供が頑張っても、

俺が祈ってやったからだ!

(だから感謝しろ!)

という態度に、本当に嫌気を覚えていた。

子どもたち、特に多感な時期の長男は、

そのこともあって、やる気を失っていったように感じていた。

 

どうせ、神様とやらが助けてくれるんだろ!?

と、吐き捨てるように言い、勉強からどんどん遠ざかっていってしまった。

 

そして、勉強しない長男に、相手は怒り、殴った。

そして、私にもあらゆる限りの暴言を、相手は吐き続けた。

 

その都度、私も長男のようにこう返していた。

神に祈れば、全て解決してくれるよ!と。

相手は、それを聞いて更に怒っていた。

 

相手は、神を信じると言いつつ、

教会に行かない。

宗教を重んじていると言いつつ、

怠惰な生活を続けている。

そして、人の悪口を言い、自分は素晴らしい人間だと豪語する。

そこには、謙虚な姿はどこにも存在しない。

 

俺は良いんだ!

神と俺は繋がっているのだから。

俺には全てが見えるんだ!

神が全部、俺に教えてくれるんだ!

 

私も子どもたちも、もう宗教にはうんざりしている。

それでも、相手はそれには気づかず、

いやむしろ、躍起になって

毎日毎晩、youtubeで見つけた宗教音楽を流し続ける。

いつの日か、私たちが神に恐れを抱いて、

神の話をし続けている相手にひれ伏すと、相手は信じている。

 

相手が言うところの、相手にとって調子のいい神を、

私たちが恐れおののく日が来ると、相手は信じている。

 

お母さんは、神様信じる?

と、子どもたちは私によく訊いてくる。

 

お母さんは、信じてるよ。

でも、お父さんが言う神様は信じてないけどね。

神様はみんなに優しいと思うよ。

でも、神様のお陰であなたのテストが良かったとは思えないよ。

それは、あなたが頑張った結果だよ。

それに、あなたのテストの面倒を見るほど、神様は暇じゃないと思うよ。

 

 

私が仕事が見つかったのは、俺がいつも祈ったからだ!と、相手は言う。

俺が祈らなくなったら、お前の仕事なんて、すぐに無くなるからな!

覚えてろよ!と、相手は叫ぶ。

 

私のことは祈らなくて良いから、

貴方が仕事が見つかるように神様にお願いしたほうがいいよ!

と、私は長年無職の相手に嫌味たっぷりに言う。

 

俺の仕事は特殊なんだ!

俺にしか出来ない仕事、俺にふさわしい仕事を、

そのタイミングと一緒に神様は、見つけてくれるんだ!

神の力を信じないお前はツベコベ言うな!

今に見ていろ!

神の力の偉大さを、お前はそのうち知るからな!

 

自分の無職を、怠惰な生活を正当化するために、神様を使うのだ。

なんと都合のいいことだろう!?

 


何とかしてでも、私の離婚を阻止したい相手は、

毎日、こちらに聞こえるように大声で祈っている。

そのことによって、私が気持ちを改める、と思っているようだ。

 

神を信じるなら、真の信者なら

Forgive and Forget (赦し、忘れる)を実践するのが、

正しい在り方だ、と言ってくる。

 

相手にこう言われた時、私はこう返した。

 

分かった!

Forgive and Forgetね!

じゃ、あなたのこと赦すよ!

そして、あなたを忘れるよ!

だから貴方も、私の離婚を赦して、

私を忘れてちょうだい!

 

相手は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

そして、こう返してきた。

ダメだ!離婚はダメだ!

家族は一緒にいなければいけないのだ。

それこそが、神の教えであり、

信者としての正しい在り方なのだ。

 

私も返す。

私は、信者として失格だね。

こんな私を赦して、忘れて!と。

 

 

私はすでに相手の事は、忘れた。

赦すか、赦さないかでもない。

赦すことも、赦さないことも、忘れた。

信者としての正しい在り方と言うのもどうでもいい。

この国の離婚率は極めて高い。

この国の宗教もそれを認めているのが事実だ。

 

私は、私なりのForgive and Forget を遂行したと思っている。

 

そして、神が本当にいるのなら、

私のこの姿勢に神は怒りはしないだろうと思う。

 

まあ、こんなどこかの誰かの離婚劇を気にかけるほど、

神様はそんなに暇じゃないだろう。

 

自己愛性人格障害者と言うのは、

このようにあらゆる事象を、

自分の都合のいいように書き換えるのである。

 

自己愛性人格障害者の前では、神様も彼らの都合の良い人物に変化する。

見えないものほど、彼らにとっては好都合なのである。

自由自在に神そのものを操り、

そして、それを使って自己愛性人格障害者と関わってしまった人々を

自分の思うように、自由自在に言葉巧みに操るのだ。

 

全ては自分が常に優位に立つために。

 

相手は今日も、神に祈る。

全てが自分の思い通りになるように。

全てを自分の思い通りにするために。

 

ひたすら、自分が作り上げた神に祈る。

 

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その7 感謝はしないが感謝を要求

自己愛性人格障害者の人と長く暮らして分かったこと。

 

裏表がある。

当の本人は、まさか自分が裏表があるとは自覚してないだろう。

 

初対面の印象は、とても良い。

物腰柔らかく、聞き上手で話し上手、

場を盛り上げるのも上手いし、人への気遣いもさり気なく、そして的確である。

誰もが、いい人ねぇ!と思う。

それが自己愛性人格障害者である。

 

しかし、それは違う。

当の本人はそうは思っていないのだが。

 

私が今、離婚しようとしている相手もこうである。

初対面の良さは素晴らしい。

誰もが、また会いたい人!と、思うことだろう。

しかし、それを続けていくと、なぜかみんな去っていく。

数回会って、みんな消えていく。

 

相手は怒る。

俺はこんなにみんなに尽くしてやったのに、

色々してやったのに、あの態度はなんだ!と。

 

尽くしてやった?

してやった?

 

何をしてあげたの?と、私は訊く。

相談に乗ってやった!と、相手は言う。

 

貴方もみんなのお世話になったよね?

できないこと、助けてもらったよね?と、私は尋ねる。

あいつらはそれが出来るんだから、当たり前だろ!

友達なんだから!と、相手は憮然と答える。

 

俺はこんなに尽くした、みんなのことを考えてやった、

と、いうのが相手の言い分で、

それの感謝がない!と言うことらしい。

 

しかし、みんなが相手にすることは、すべて当たり前のことだ、と言う。

なぜなら、相手が頼むことはみんなができることで、

大したことないことだからだ!と、言う。

 

相手はコンピューターの扱いがよく分からない。

履歴書の書き方も分からない。

私は手伝いたくはなかった。

手伝うと、すべてをやらされるのはわかっているし、

もし相手の思い通りのものができないときには、

何度もうるさくダメ出しが出るからだ。

 

こんなのは、自分の仕事に関わるんだから、

自分でできるようになったほうがいいよ!

と、私が言おうものなら、

これは、俺の仕事じゃない!

履歴書は誰だって作れるのは分かってる。

でも俺はコンピューターが苦手なんだ。

簡単ならお前がやればいいじゃないか!

簡単なものなら、ちゃちゃっとやってくれれば、

俺もお前も仕事がすぐに終わるじゃないか!

誰かが苦手なことをサポートするのが、正しい人間じゃないのか?!

と、私に詰め寄る。

 

何度か、いや、何度も、手伝った。

できないことが多い相手に、私は色々やった。

感謝の言葉は一応言われたのかもしれない。

でも、そんなことよりも、色々とできるようになってほしかったので、

次からは自分でやってね!と、よく言っていた。

 

しかし、相手はしなかった。

 

また、出来ない! わからない!

俺の得意分野じゃない!と、私に小言を言った。

 

私はいつからか、手伝うのをやめた。

子どもたちにも、出来ないことは何度か手伝って、

あとは自分たちでやってもらうように促してるのに、

大の大人が、ましてや子どもの親が、出来なーい!わかんなーい!

とは、あまりにもあまりにも情けないからだ。

 

そんな私に対して相手は怒る。

 

しかし、それでも手伝わない私に、

最後は、相手は知り合いをあてにして電話をする。

 

私は、その知り合いの方々に申し訳なく思いつつも、様子を伺う。

知り合いの方々は、ただ頼まれたことだけをやって、すぐに帰る。

お茶をしたり、雑談したりわけでもなく、すぐに帰る。

 

そういうことなのだ。

もう誰もかも一緒にいたくないのだ。

必要最低限のことだけやって、あとはもう関わりたくないのだ。

優しくしたら、仲良くしたら、また頼まれるのを知ってるから。

当然のように、手伝わされるのを分かってるから。

相手は、それが当然で、覚えようともしないから。

本当は、俺だってできるけど、君に頼んだほうが確実だから!

という態度にみんな、うんざりしてるのだ。

俺だってできるけどね…と言って、

手伝ってくれる人を見下す相手にうんざりしてるのだ。

そして、手伝っても、感謝されないのもわかってるから。

みんな、別に感謝が欲しいわけではないと思う。

でも、当たり前のように手伝わされるのに、

いつの日かみんな疑問に思ってしまうのだ。

だから、みんなはとっととやって終わらせて帰るのだ。

 

私と子どもたちはとっとと帰る場所がない。

うんざりだけが募る毎日だ。

 

俺は感謝している、と、相手は私に言う。

しかし、相手は全ての人を悪く言う。

頼む内容によっては、その道のプロの知り合いに頼むこともある。

こういう場合、その知り合いは当然ながら、自分のサービス料を相手に請求する。

相手は、もちろん!という顔つきで、にこやかにお金を払う。

こんなに安くしてもらって助かるよ!などとも言う。

しかし、その知り合いが帰ると、態度が豹変する。

あのくらい、ただでやってくれたっていいだろ!

まさか、お金を請求するとは思わなかった!

なんて、がめつい奴なんだ!

いつか、必ず酷い目に遭うぞ、ああいう奴は!

などと、言い始める。

 

感謝などしてない。

 

俺が出来ないことは、できる奴がすればいい!

俺だってできることがあれば、みんなにやってやってるのだから!

と言うことなのだ。

 

しかし、相手ができることはほぼ無い。

あっても、それはだれでもができることである。

 

子供の宿題を、相手は見る。

宿題が終わると、相手は子供に、

「お父さん、ありがとう、は? キスもしろ!」と、要求する。

 

子供は私に言う。

「お母さんは、僕に宿題を教えてくれると、

偉いわね!よくできたわね!っていうのに、

お父さんは、ありがとうを言えって言ってくるよ。

僕に、頑張ったね!とか言ってくれないよ。

僕、ありがとう!ってちゃんと言ってるのに、何度も言わされるよ。」

 

出来ることをするのは、人として当たり前のことだ!と言う相手は、

息子に勉強の手伝いをしたことの感謝をしつこく迫る。

 

子供は、できることなら、私と宿題をしたい、と言ってくる。

私は、この国の言葉がうまくない。

算数は教えられても、国語は教えられない。

ごめんね、と、私は言う。

子供は、

いいよ、お母さん。いつもありがとう!

と、言う。

 

感謝の言葉は、自ずと出てきてこそだと思う。

 

 

 

私が知ってる自己愛性人格障害者の特徴 その6 わざとらしい

知り合った当初から、ちょっとオーバーだなぁ、とは思っていた。

でも、すべてのことではないし、いつもそんなにオーバーでもないし、

と、考えていた。

こういう人なんだよ、

この人の個性だよ、と、思っていた。

 

その時は、ここまでだとは、思ってなかったから。

 

一緒に生活して、子供が生まれて、それがどんどん目についてきた。

でも、そう考えてしまう私はなんて酷いんだ、と思い直していた。

結婚した相手に、その相手に対して、その人の癖や性格に

難癖つけるなんてしてはいけない、と、思っていた。

だって、私だって相手にとっては受け入れがたい癖や性格があるだろうから。

 

それでも、どうしても思ってしまっていた。

 

今になってわかることだが、あのわざとらしさは、

本当にわざとらしくやっているものなのだ。

同情や関心を引くためだけにやっているわざとらしさなのだ。

 

相手はいつも体の不調を訴える。

これは昔からそうであった。

結婚した当初、私は親身になってお世話をした。

大丈夫?

あまり無理しない方がいいよ。

ゆっくり休んでね。

と、お決まりではあるが、必ずこれらの言葉を掛けていた。

 

耳鳴りがする、腰が痛い、と、相手はいつも言っていた。

病院に行きなよ!と、私は言った。

病院に行ったところで、治らないんだ!と、相手はいつも答えていた。

俺の症状は、大変なものなんだ!と、言って、

こちらが聞こえるところで、ゼイゼイハアハアと苦しんでいる声を出していた。

 

酷い症状と言いつつ、病院にも行かず、治す気もない。

そして、相手にとって何か楽しい場面のときには、

その酷いと思われる症状は影を潜める。

 

単純に、日々の労働力を考えたら、

無職の相手に比べ、私や子どもたちのほうが、かなりの労力を使っている。

それでも相手は、私と子どもたちに、

ゼイゼイハアハア言ってくる。

もう私たちは同情も関心も持ち合わせてないのに。

 

腰が痛いから仕事ができない、と、私に言う。

私は在宅ワークで、腰を痛める仕事でもない。

貴方も在宅ワークで、何かすれば?と、提案したこともあった。

腰に負担がかからない仕事をしたら?と。

 

お前は俺がどんなに辛いから分からないから、

そんなことが言えるんだ!と、相手は怒る。

だったら、とっとと病院に行けばいいのに!と、思うが、

それを言うとまた、

俺の症状は複雑なんだ!みたいなことが返ってくる。

 

結局、何がしたいのか?

 

ひとえに、構ってほしいのである。

同情して欲しいのである。

特別扱いされたいのである。

可哀想に…でも頑張って偉いわね!と言う言葉が欲しいのである。

 

本当に痛かったら、本当に治したかったら、

人はそれなりの対処をするはずである。

しかし、相手は何もしない。

ただ、ゼイゼイハアハア言っているだけである。

 

それ以外でも、全てにおいてわざとらしい。

 

コーヒーをこぼしただけで、大騒ぎになる。

これは、私にこぼれたコーヒーの後始末をして欲しいからである。

 

また、どうでもいいことを、あたかもすごいことを成し遂げたような演技をする。

例えば、子供の飲み薬を測るとか、そんなことだ。

私の目の前で、薬をおもむろに取り出し、きっちりと測る!

これだけのことを、わざとらしくやる。

これは、感謝の言葉が欲しいのである。

または、俺は立派な父親と思われたいのである。

 

もちろん、これは自分の薬でも同じだ。

私が見えるところで、わざとらしく薬を飲む。

俺は弱ってるんだぞ!アピールである。

しかし、友達から遊びの誘いが突然来ると、いそいそと出かけていく。

 

腰が痛いとか言われても、もはや私にとってはどうでも良いのに、

相手はまだ訴えてくる。

 

これは、俺はこんなに可哀想なんだから、離婚しないでくれ!ということだ。

 

相手のわざとらしい演技、私にはもう全てお見通しである。

 

相手は、ずっとこの調子で生きてきた。

だから、これがわざとらしいとは、思っていない。

これが、相手にとって、普通のことなのだ。

 

自分で気付くことができない。

これが、自己愛性人格障害者は治療が難しい、と言われる要因の一つだと思う。

 

でも、私たちは、それに同情してはいけないのである。

同情しても、決して報われない。

時間の無駄である。

 

 

宗教の壁

私が住んでるこの国。

夏に裁判は一切行われない。

7月と8月、裁判申請書類などの受理はするが、

肝心な裁判は9月にならないと行われない。

 

だから、9月になってから離婚申請書の提出をすることに、

私と弁護士さんは決めた。

9月は、離婚申請書の作成に時間を掛けた。

そして、10月になり、弁護士さんから連絡をもらった。

「明日、提出するからね。

裁判所が受理して、だいたい一週間くらいしたら、

相手にその書類が届くと思うよ。

子どもたちに説明して、信頼できる友達や隣人に声を掛けておいて、

何かのときに備えておくように。

気をつけて!」

知りあいの弁護士さんは、私と子どもたちの身の安全を

いつも心配してくれている。

 

ついにこの時がやってきたか!

私は怖いながらも、嬉しかった。

これで先に進めるからである。

 

一週間後、そろそろかもしれない‥と、私はオドオドしていた。

裁判所からの書類は直接、裁判所が配達人を雇い、その相手へと届ける。

家の前に車が止まると、

裁判所からか!?と、怖くなった。

進めたい離婚裁判ではあるが、

書類を相手が受け取ったらどんな反応をするか、怖かった。

 

突然、弁護士さんから、電話が来た。

普段、私は弁護士さんと電話でやり取りをしない。

相手に知られたくないからだ。

私は常に自分の携帯をマナーモードに設定している。

弁護士さんとのやり取りはいつもメッセージでしている。

 

電話をしてくるとは、とても異例なことだった。

私は相手に気づかれないように電話を取った。

弁護士さんは言った。

 

「離婚申請書は出せなかった。」と。

 

意味がすぐに分かった。

 

この国は宗教を重んじている。

私と相手は区役所への結婚届とは別に、

宗教婚もしている。

そこに引っかかったのだった。

まずこの宗教婚を解消しなければいけないのだ。

私はこのことは知っていたが、宗教婚をこの国でしていないため、

管轄外だと思っていた。

(ちなみに区役所への婚姻届も違う国である。)

弁護士さんも同じように思っていた。

しかし、今回、弁護士さんが裁判所に行き、書類を提出しようとした時に、

裁判官から、教会に問い合わせたほうが良い!と言われたそうだ。

そこで問い合わせたところ、確かにこの国で宗教婚はしていないものの、

宗教婚をしている事実には変わりないので、まず宗教婚の解消を!

ということであった。

 

この宗教婚を解消しない限りは、

裁判所に離婚申請書を提出出来ない、これがこの国の決まりである。

 

私は気軽に宗教婚をしてしまったことを悔やんだ。

しかし、今更そんなことを言っても仕方がない。

 

この宗教婚が解消されるには、なんと3ヶ月も掛かる。

なるべく長い期間を設け、双方が和解し、元の鞘に収まることを

教会側は期待してるのかもしれない。

実際、この3ヶ月の間に、教会から電話が掛かってくることもあるそうだ。

そして、教会は当事者たちに話し合いを勧めるそうである。

 

私は外国人だから、教会から電話が掛かってくることは多分ないと思う、

と言うのが私の弁護士さんの見解ではあったが、

「もし、掛かってきても、私は気持ちを変えません!と言えば良いからね。

教会が離婚を止めさせる権利は一切ないから!」

と、弁護士さんが付け加えて言ってくれた。

 

思わぬところで、また足踏みを食らってしまった。

しかし、私は少しホッとしていた。

後2ヶ月ほどでクリスマスになってしまうからだ。

そして、またクリスマスの休みが入ってしまうからだ。

だったら、クリスマスが明けてからのほうが良い、と思った。

 

私と子どもたちは、年末年始をホテルで迎えた。

相手の分のホテルなどはもちろん、私は取らなかった。

「もし来たかったら、もし子どもたちと年末年始を過ごしたかったら、

自分の分は自分で取って来てね!」とだけ、私は相手に言った。

 

私は相手が来ないことは知っていた。

裁判所にあれほど、

子どもたちを大切に思ってる!

家族は一緒にいるべきだ!

などと訴えたにも関わらず、

相手はホテルには来るはずないと、私は確信を持っていた。

お金を使いたくのは明らかだし、

まず、子どもたちと余暇を過ごすなんてことは好きではないのだ。

相手が来ないこの事実に、私たちは喜んだ。

私と子どもたちは、のんびり楽しい時間を過ごした。

 

この休みが終わったら、戦いが始まる。

私は、そう考えつつも、休暇を思いっきり楽しんだ。

楽しめるときは楽しまないと!

 

そろそろ、3ヶ月が終わる。

教会からの電話はなかった。

教会からの宗教婚の解消承諾書は、

間もなく私の弁護士さんに届くことだろう。

 

私は今か今かとその日を楽しみにしている。

 

 

子どもたちのこと

離婚はすべきではない、と思っていたし、

できることなら避けるべきだと今でも思っている。

特に子供がいる場合は。

生活の変化、環境の変化、何もかもが今までと違ってしまうことは、

大人ですらそれに慣れるまで大変であるのだから、子供には尚更である。

しかも、『大人の都合』で、離婚するのはやはり身勝手だとも思う。

だから、なるべく離婚は回避すべきだと思う。

 

よっぽどのことじゃなければ‥

 

私はそう思って、結婚生活を持続してきた。

早死にするなぁ、と思いながら生きてきた。

子供たちが一人前になるまではなんとか生きなきゃなぁ、と思って生きてきた。

感情をなくし、嘘の笑顔を振りまき、

とにかく一日が平穏に終わるためだけに生きてきた。

その繰り返しに慣れるように、自分を持っていった。

とにかく一日が終われば、後はどうでも良かった。

 

去年の夏を除いては、私と子供たちは毎年、日本で夏を過ごしていた。

私達はとても楽しい時間を、毎回過ごしていた。

私にとって、これは夢の時間であった。

 

三年くらい前だろうか、夏休みが終わり日本から戻ってきて数日後、

次男がお風呂で泣いた。

「日本、楽しかった。おばあちゃんに会いたい。

どうして、僕たちはここで暮らさなきゃいけないの?」

「だって、私たちはここに家があるからよ。

ここはお父さんの国だからよ。」と、私は答えた。

次男はこう返してきた。

「でも、お父さんは仕事してないじゃん!

だったら、ここにいることないでしょ? なんでここにいなきゃいけないの?」

私は答えに詰まった。

 

長男と父親の関係はすでに最悪であった。

勉強しない長男をとことん非難する相手。

恫喝したり、叫んだり、手を出したり。

時には、セコい取り引きをして、勉強をさせようとしていた。

(勉強したら、これを買ってやるという類の取り引きのことだが)

また、ある時は長男のクラスメイトと比べたりした。

「あの子供に比べて、お前はなんてバカなんだ!」

これら全てのやり方は私は本当に嫌いであった。

 

以前は、私も話に加わっていた。

「他の子供と比べないでほしい。」

「手を出さないでほしい」と、相手によくお願いしていた。

 

しかし相手の返しはいつも決まっていた。

「お前のせいで、子供がこうなったんだ!全部お前が悪いんだ!」  

 

勉強以外でも、相手は長男に対して常に酷かった。

「子供っていうのはな!お父さんの言うことを聞くものなんだ!」

と、相手は長男に言い、

自分でできることでも長男に言いつけていた。

あれしろ!あれを持って来い!など命令した。

長男は激しく反発した。

年齢的に反抗期の時期も相まって、長男はお父さんにとことん反発した。

「お父さんがやれよ! そのくらい自分でできるだろ!」

 

こうなると、今度は私が相手に詰られる番になる。

これもいつものことだった。

「お前の育て方が悪いから、子供がこうなったんだ! 全部、お前のせいだ!」

 

この言葉に、今度は長男がまた反発する。

「お母さんは悪くない!全部、お前(父親のこと)が悪いんじゃないか!」

 

そして、この流れになると相手は必ず私にこう言う。

「お前は子供たちに俺のことを悪く言ってるんだな!

お前は子供たちを上手く手懐けやがって! なんて酷い奴だ、お前は!」

 

この繰り返しの日々だった。

私はもうすっかり疲れてしまっていた。

 

 私は長男に言った。

「お父さんに何を言われても聞き流してちょうだい。

何か理不尽なことを頼まれたら、しなくていいから。

お母さんが全部しておくから。」

 

長男は、私を怒った。

「お母さん。僕は間違ってないよ。 何も悪いこと言ってないよ!

本当のことを言ってるんだよ!分かるでしょ?

それなのに、なんで僕達がお父さんの言うことを聞かなきゃいけないの?

そういうことを言うお母さんも間違ってるよ。」

私はここでも言葉に詰まった。

 

次男が言ったことも、長男が言ったことも、正論だった。

私は子どもたちのその正論ですら、押さえ込もうとしていた。

私はそんな自分がつくづく嫌になった。

 

家族は一緒に生活したほうがいい。

大人の都合で離婚などしないほうがいい。

子どもたちの生活環境を、そんな大人の都合で変えないほうがいい。

よっぽどのことじゃなければ。

 

うちはもうよっぽどのことなんじゃないか?と、私は思った。

 

子どもたちの正論をねじ伏せることはしたくない、と思った。

そして、そんな母親にはなりたくない、と、強く心から思った。

 

離婚を告げた日

私は、相手に離婚を告げる日を慎重に考えていた。

第一に子どもたちのことを考えた。

子どもたちの誕生日などのイベントにぶつからない時にしようと決めていた。

 

それらが終わるのは2月末。

私は毎日のように、恫喝されていた。

相手の言うことを聞かない長男に対しての、

私への言葉の暴力は特に酷いものだった。

それ以外にも、私の仕事を貶したり、私の実家を馬鹿にしたり、

友達の悪口を言ったり、言葉の暴力は毎日あった。

 

とにかく、

私が悪い!と言うことで、

俺が正しい!と言うことだった。

 

私は耐えた。

子どもたちに、「お母さん、悔しくないの? なんで言い返さないの?」

と、言われても、私はただ黙っていた。

 

しかし、結局、私は子どもたちの誕生日が終わるのを待てなかった。

長男の誕生日の5日前、相手はまた私を恫喝した。

 

まだ小学生の次男は私と共に寝ている。

次男はお父さんが好きではない。

物心付いたときから、私への言葉の暴力、

お兄ちゃんへの言葉と身体の暴力を何度となく見ている。

そんな次男は常に私といたがる。

 

そのことを相手は責めてきた。

「お前は夫と寝室を共にしないなんて、ひどいと思わないのか?」

「お前は何を考えてるんだ?」などなど。

 

ここで言うしかない、と即座に思った私は、

「はい。離婚したいと考えてます。」と、答えた。

 

相手は驚いていた。

理由はなんだ?と聞いてきた。

分かるでしょ?とだけ答えた。

俺は離婚したくない、と、相手は突然しおらしくなった。

いや、もう無理だよ、と、私は相手の顔を見ず答えた。

 

その日の夜、私は激しく泣いた。

次の日の夜も、また次の日の夜も、相手にも子どもたちにも

気づかれないように激しく泣いた。

 

なんで泣くのだろう?と、ふと思った。

楽しかった日々が思い出されてきた。

あんな日はもう戻らないんだなぁ、と感傷的になった。

でも、その楽しかった日々を懐かしく思ってない気がした。

そして、また泣いた。

激しく泣いた。

 

そして、突然、自分の口からこの言葉が出てきた。

「これで、やっと終わるんだ。

私はこの毎日から、ついに解放されるんだ!」

 

そして、もっともっと泣いた。

 

ついに言えた!

これで終わりだ!

やっと言えた!

やっと終わりになるんだ!

もう耐えなくていいんだ!

恫喝されないんだ!

脅迫されないんだ!

怯えなくていいんだ!

 

これらの感情が一気に吹き出してきた。

その時私はどれだけ自分が辛かったか、ようやく分かった。

 

私は、子供たちのために離婚しよう、と思っていた。

そのためだけに耐えてきた。

そのためだけに離婚を告げた。

…と、思っていた。

 

でも、それは違った。

私は今まで、自分の感情を押し殺していた。

それが一気に出てきて、そして分かった。

 

私はもういっぱいいっぱいだったのだ。

 

離婚を告げて、分かったこと。

それは、自分が隠していた感情と向き合ったことだった。

 

すっかり泣き止んでから、そこでやっと冷静になれた。

 

そして、私は心に決めた。

 

理不尽なことを言う人のために自分の感情を押し殺すのは止めよう、と。

これからは、楽しく生きよう、と。

残りの人生は、

子どもたちと、もちろん私と、私の好きな人たちのために使おう、と。

そして、少しわがままになりたいなぁとも思った(笑)

 

泣いた意味が分かった瞬間であった。

そして、それは私を確かに変えさせてくれた。

もしくは、自分を取り戻せた、とでも言うのかもしれない。

 

離婚成立まで、まだまだ先が見えないが、

それでも私は、とても清々しい気持ちであることには間違いはない。

 

出国禁止命令 一時停止の裁判再び、そして判決

去年の夏休みが始まる前、私の弁護士さんは、

子どもたちに対する出国禁止命令の

一時停止の申し立てをした。

夏だけは、日本に戻れるようにして欲しい、という私たちの申し立ては、

寛大に裁判所に受け入れられ、

あとは相手側と合意を交わすだけであった。

相手の弁護士もこれに了承していたにも関わらず、

合意が行われる日に、相手が裁判所に乗り込んできて

全てをぶち壊した。

このことにより、私と子どもたちは、毎夏、日本に帰っていたが、

昨年は帰ることが出来なくなってしまった。

 

夏休みが終わり、またこの裁判が行われる運びとなった。

私の弁護士さんは、次の夏休みに対しての

出国禁止命令の一時停止を求めていたからである。

 

正直、私はこの裁判はもうどうでもよくなっていた。

どうせ、自国の人間が有利、

所詮、私は外人、

また負ける、

と、思っていた。

 

弁護士さんに、この裁判には私も来るように、と言われた。

相手も裁判所に来ることもその時、知らされた。

 

更に行きたくなくなった。

 

こっちが何を訴えても、

自己愛性人格障害者お得意の、

お涙頂戴、

俺が被害者、

俺は素晴らしい父親、

という 

自己愛性人格障害劇場が繰り広げられるのは目に見えていたからだ。

 

行きたくないです、私は弁護士さんに言った。

これは来なきゃダメだ!私は弁護士さんに言われてしまった。

行くしかなかった。

 

今でも同じ家に住んでいるが、裁判所にはもちろん別々に行った。

相手は、運転できない私に

一緒に行こうか?と言い出した。

そうすることにより、夫婦は円満です!

ということを強調するのは分かっている。

離婚するには、一緒に行動しない、これは大前提である。

まして、裁判に二人仲良く行くなんてあり得ない。

相手は、私が離婚したいということを、まだ本気に思ってないようである。

 

裁判所、相手はたった一人の親友を連れてきていた。

多分、この親友も自己愛性人格障害者だと思う。

これも、もはや私にはどうでもいい事だが。

 

私を実際にいつも担当しているのは、私の弁護士さんの部下である。

担当してくれている弁護士さんは、相手よりも若い男性である。

相手は、この若い弁護士さんを下に見ている。

しかし、私の知りあいの弁護士さんには、苦手意識がある。

なぜなら、この知りあいの弁護士さんは、

私達の下の子供の親御さんだからである。

私の知りあいの弁護士さんは、相手にとっても顔見知りの人であるのだ。

 

裁判所には、なんと、私をいつも担当してくれる若い弁護士さんだけではなく、

知りあいの弁護士さんも来てくれた。

二人がかりでこの裁判に臨んでくれたのだ。

 

知りあいの弁護士さんは、相手を見つけるなり、握手を求め、

そして、おはよう!元気?と、サラっと聞いていた。 

相手はかなり驚き、そして見るからにオドオドしていた。

私も相手の弁護士に、サラッと、おはようございます!と挨拶をした。

別に、こっちは悪いことしてないんだから、

堂々としてよう!

これを私は弁護士さんから、その行動で教わった。

 

裁判所の中でも、私の弁護士さんは堂々としていた。

私も姿勢を良くし、堂々とすることに努めた。

 

私はこの国の言葉を話せない。

日常生活も私の仕事関係も英語でなんとかなってしまうので、

この国の言語をちゃんと学んでこなかった。

私の知りあいの弁護士さんが、私に裁判官の言葉を同時通訳してくれた。

 

裁判中、相手の弁護士が相手を表に連れ出して、何か話をして戻ってきた。

何か戦略でもあるのかしら?

私は嫌な気分になった。

しかし裁判官は、私に終始、穏やかに話しかけていた。

どのくらい帰りたいか?

いつ帰りたいか?

などと訊いてきた。

 

結果、夏に最長6週間、無条件で日本に帰ってよし!ということになった。

でも、他の国に子どもたちと行ってはだめですからね!と、裁判官に言われた。

他の国には興味ないし、それは相手がしてくれて構わないです。

と、私は答えた。

心の中では、

子どもたちの面倒だってみたくないし、お金も使いたくないから、

相手はどこにも子どもたちを連れて行かないけどね‥と思いながら。

 

相手が前回に喚いていたような、政府からの手紙や、一千万円の保証金などは

裁判では話にも上がらなかった。

 

出国禁止命令が解除されたわけではないけれど、

これからは毎夏、無条件で子どもたちと日本に戻れる、という判決は

私達には、勝利を意味するものだった。

裁判が終わり、家まで私を送ってくれた弁護士さんが、私にこう言った。

 

相手は、裁判官が何を言ってるのか、よく分かってない感じだったよ。

とても緊張してたよ。

そして、すごくオドオドしてたしね。

相手の弁護士が相手を連れ出したのも、黙ってるように言ったんだと思うよ。

裁判官と話が全く噛み合ってなかったから。

 

そして、弁護士さんは更にこう言った。

相手は裁判官から注意されてたよ。

あなた(相手のこと)は、子どもたちを奴隷のように、

家に閉じ込めてはいけない!って。

 

本当は、次に日本に戻るときは、永久帰国にしたい、と思っていた。

でも、まだまだ長引きそうなので、この裁判の判決は嬉しかった。

無条件というのは、相手の同意なども要らない、ということだ。

この判決は、もう覆らない。

 

帰ってきたら子どもたちに判決を伝えようと思っていたら、

相手が先回りして判決を伝えていた。

 

俺が許可してやったから、日本に夏、帰れるようにしてやったぞ!と。

 

子どもたちは私に訊いてきた。

お父さんが許したからって本当?

 

私は答えた。

裁判官が決めたんだよ。

お父さんの許可なんて必要ないんだよ。

だって裁判官は、お父さんに許可を求めてなんかないんだから!と。

 

また嘘付いたんだね、お父さんは。

子どもたちは、怒るでもなく、落胆するでもなく、こう私に言った。