自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

離婚を告げた日

私は、相手に離婚を告げる日を慎重に考えていた。

第一に子どもたちのことを考えた。

子どもたちの誕生日などのイベントにぶつからない時にしようと決めていた。

 

それらが終わるのは2月末。

私は毎日のように、恫喝されていた。

相手の言うことを聞かない長男に対しての、

私への言葉の暴力は特に酷いものだった。

それ以外にも、私の仕事を貶したり、私の実家を馬鹿にしたり、

友達の悪口を言ったり、言葉の暴力は毎日あった。

 

とにかく、

私が悪い!と言うことで、

俺が正しい!と言うことだった。

 

私は耐えた。

子どもたちに、「お母さん、悔しくないの? なんで言い返さないの?」

と、言われても、私はただ黙っていた。

 

しかし、結局、私は子どもたちの誕生日が終わるのを待てなかった。

長男の誕生日の5日前、相手はまた私を恫喝した。

 

まだ小学生の次男は私と共に寝ている。

次男はお父さんが好きではない。

物心付いたときから、私への言葉の暴力、

お兄ちゃんへの言葉と身体の暴力を何度となく見ている。

そんな次男は常に私といたがる。

 

そのことを相手は責めてきた。

「お前は夫と寝室を共にしないなんて、ひどいと思わないのか?」

「お前は何を考えてるんだ?」などなど。

 

ここで言うしかない、と即座に思った私は、

「はい。離婚したいと考えてます。」と、答えた。

 

相手は驚いていた。

理由はなんだ?と聞いてきた。

分かるでしょ?とだけ答えた。

俺は離婚したくない、と、相手は突然しおらしくなった。

いや、もう無理だよ、と、私は相手の顔を見ず答えた。

 

その日の夜、私は激しく泣いた。

次の日の夜も、また次の日の夜も、相手にも子どもたちにも

気づかれないように激しく泣いた。

 

なんで泣くのだろう?と、ふと思った。

楽しかった日々が思い出されてきた。

あんな日はもう戻らないんだなぁ、と感傷的になった。

でも、その楽しかった日々を懐かしく思ってない気がした。

そして、また泣いた。

激しく泣いた。

 

そして、突然、自分の口からこの言葉が出てきた。

「これで、やっと終わるんだ。

私はこの毎日から、ついに解放されるんだ!」

 

そして、もっともっと泣いた。

 

ついに言えた!

これで終わりだ!

やっと言えた!

やっと終わりになるんだ!

もう耐えなくていいんだ!

恫喝されないんだ!

脅迫されないんだ!

怯えなくていいんだ!

 

これらの感情が一気に吹き出してきた。

その時私はどれだけ自分が辛かったか、ようやく分かった。

 

私は、子供たちのために離婚しよう、と思っていた。

そのためだけに耐えてきた。

そのためだけに離婚を告げた。

…と、思っていた。

 

でも、それは違った。

私は今まで、自分の感情を押し殺していた。

それが一気に出てきて、そして分かった。

 

私はもういっぱいいっぱいだったのだ。

 

離婚を告げて、分かったこと。

それは、自分が隠していた感情と向き合ったことだった。

 

すっかり泣き止んでから、そこでやっと冷静になれた。

 

そして、私は心に決めた。

 

理不尽なことを言う人のために自分の感情を押し殺すのは止めよう、と。

これからは、楽しく生きよう、と。

残りの人生は、

子どもたちと、もちろん私と、私の好きな人たちのために使おう、と。

そして、少しわがままになりたいなぁとも思った(笑)

 

泣いた意味が分かった瞬間であった。

そして、それは私を確かに変えさせてくれた。

もしくは、自分を取り戻せた、とでも言うのかもしれない。

 

離婚成立まで、まだまだ先が見えないが、

それでも私は、とても清々しい気持ちであることには間違いはない。