自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

病は気から

毎日の生活が嫌で嫌でたまらなくて、でも続けなくてはいけなくて、

という日々を5年以上前から続けてきた。

自分が選択してしまったこと。

子供がいるから、もう何もかも諦めるしかないと、思ってた。

子どもたちにとって、このままの生活を続けるのがいいとも思えなかったが、

もしかしたら相手は変わってくれるかも?

子供たちがもっと成長したら態度が穏やかになるかも?

そう自分に言い続けてきた。

私はどうでもいい。

どうなってもいい。

野垂れ死んでもいい、そう思っていた。

毎日は辛かった。報われない日々だった。

何をしても楽しめなかった。

子どもたちの手前、楽しでいるふりをしていた。

子供たちに悟られないように。

悲しい思いをさせないように。

子供たちが独り立ちしたら、逃げよう、離れよう、

それだけを考えて過ごしてきた。

 

しかし、体は正直であった。

逃げられない袋小路に陥ったと感じるようになってから毎年、

私は体調を崩し始めた。

ただの風邪の症状で始まるものの、

最低でも一週間は寝込まないと回復できなかった。

私も歳を取ったものだ、そう思った。

子育ても一人でやっていたので、風邪を引かないように本当に気をつけていた。

それでも毎年、体調を崩した。

もちろん、相手からのサポートは特になしだった。

だって、所詮風邪だから。

そんな中、私はさらに体調を崩した。

三年前のことである。

 

左脇の下、つまりリンパ節が突然痛みを持って膨れだしたのだ。

私は子供の時、リンパ節が良く腫れたので病院に通ったことがある。

 

しかし、今回のは痛みも伴って、しかもとてもでかい。

怖かった。

こちらの病院は公立と私立に分かれている。

公立病院は安い分、何時間も待たされる。

そして、緊急性が感じられないものだったら、抗生物質を与えられて帰される。

私立病院は高いが、すぐに診てくれて帰されることはない。

 

私は相手に私立に連れて行ってくれるように頼んだ。

今回ばかりは、適当な抗生物質などをもらいたくはなかったのだ。

電車のないこの国では、どこに行くにも車が必要である。

そして、私は愚かなことに車の免許を持っていない。

どうしても運転が怖くて、運転を習わずにきてしまった。

だから私はいつも近場で用を済ますか、

それ以外は相手に頼るしかなかったのである。

しかし、相手は何食わぬ顔で公立病院に連れて行った。

5時間待たされた挙句、3分程度の診察で、抗生物質を渡された。

悔しかった。

公立病院に連れて行った相手にも。

相手に頼らなければいけない私にも。

でも、もらったこの抗生物質が効くのなら‥と思って、

それを飲んだ。

2日続けて飲んだ。

症状は酷くなった。

相手に、薬が効かないと、言った。

相手は、抗生物質が効き始めるのは数日経ってからだから、

もう少し待て!と、言った。

3日目、もう限界だった。

痛みも腫れも、自分の惨めさも、何もかも限界だった。

相手に懇願した。

お願いだから、私立に連れてって!と。

お金が問題なら、私が払うから、連れてって!と。

その日の午後、すでに学校から戻っていた子供たちを連れて、

やっと私立病院に行った。

 

病院の先生は私の脇の下を見るなりこう言った。

「すぐに手術するよ。」

先生は直ちに、麻酔科の先生に内線電話をした。

手術室も同時に確保した。

病院について10分後、私は手術台の上にいた。

 

全身麻酔で行われたその手術、術後がとても痛かった。

それでも終わってホッとした。

肥大した脇の下から取ったその腫瘍を、先生はすぐに検査にまわした。

 

数日後、検査結果が出た。

幸い、良性の腫瘍であった。

 

今回のこの腫瘍の原因は何なのか、先生に聞いた。

先生は言った。

「ばい菌が入ったのかもしれないけど、ストレスでも腫れるから、

あまりストレスを溜めないようにしなきゃダメだよ。」

 

私は、自分の体調がここまで悪かったのに、私立病院に行きたいと言ったのに、

何の意見も聞き入れてもらえなかったことに絶望した。

私は一体何なのだろう?と、思った。

 

ただただ、悲しかった、虚しかった、情けなかった。

 

泣きながら私立病院に連れて行ってくれるように頼んだ

自分を思い出して涙が溢れてきた。

次に体調を崩したら、お終いかもな‥

そう思うようにもなった。

 

私が相手に離婚したいと伝えたのは、今年の2月である。

面白いことに、私は離婚をしたいと言ったその日から、

一切病気をしていない。

 

めちゃくちゃ元気である。

裁判やら、相変わらずの言葉の暴力はあったりと

精神的には、辛い日々は続いてはいるが、

それでもすこぶる体調が良い。

毎日も楽しめている。

ご飯が美味しいと思える。

子どもたちと心の底から笑っている。

 

今まで出口のない毎日だったけど、

今は違う。

未来を考えることができるようになった。

いつか必ず抜け出せる。

 

そのために、弁護士さんのところに行ったのだから。

そのために、裁判をしてるのだから。

 

病は気から、というのは本当だ。

 

もう少し、もう少し。

いつか、必ず、ここから抜け出してやる。