自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

情けは無用。これに尽きる。

相手が自己愛性人格障害だと、確信を持った私ではあったが、

私はそれを甘く見ていた。

それでもどこかで、ちゃんと説明すれば分かり合える、

少なくともこちらの言い分は理解してもらえる、

と思っていた。

 

しかし、それは相手が起こした子どもたちへの出国禁止命令と、

私が相手に家を出ていってもらう申請をした裁判の

相手からの嘘まみれの反対弁論で、

全て打ち消された。

 

それでも、私はまだ分かってもらえるかも?と、時折思っていた。

今まで一度も私への共感を示したことがなかったその相手に。

私はそれでも、そこまで人は酷くないものである、と信じていたかった。

これはきっと共依存に近いものだったと思う。

どこかで相手に依存していた自分に嫌悪感を覚えた。

 

私は色々と調べた、

連日連夜、調べた。

自己愛性人格障害とは何なのか?

その対処法は?

自滅させるには?

などなど。

 

これと言った明確で完全な答えは得られなかった。

ただ一つ分かったことがある。

 

非情になることだ。

 

情けをかけてはいけない。

同情してはいけない。

助けてはいけない、

共感してはいけない。

 

褒めてその場をやり過ごす、と言うのも対処法にあった。

しかし、私はこれから相手と生活を共にしていく意思はない。

そうなると、褒めるなんてことは馬鹿げている。

 

自らを奮い立たせて非情になるのは、最初はキツかった。

相手からの言葉の暴力がある中で、

私は何度も打ちのめされそうになった。

弁護士さんの前で、幾度となく泣いた。

友達の前でも。

ご近所さんの前でも。

 

でも、絶対に引き返したくはなかった。

どんなに辛くても、相手とは関係を切りたい、

それだけを心の支えにしてきている。

 

今までの辛かったことを思い出し、それを支えに自分を奮い立たせている。

 

非情になるなんて、本来なら良くないことだ。

それを承知でやっている。

 

相手はそこを攻撃する。

お前は酷い女だ!と、言う。

最低な女だ!と、言う。

俺に復讐してるつもりか?と、怒鳴る。

誰に言われて、そんな態度を取るんだ?と、追求する。

 

誰からの入れ知恵でもなく、復讐でもない。

私がこうしたいからしてるだけである。

でも、そんな説明も私は相手にはしない。

一切しない。

したところで、相手は自分の都合のいいように解釈し、

そしてまた攻撃するのを知ってるからだ。

 

きっと相手は自分の取り巻きに、私のことを酷い女だ、と言ってるだろう。

なんとでも言えばいい、と思っている。

相手の取り巻きは、所詮、相手の取り巻きに過ぎない。

つまり、同じ穴の狢なのである。

 

相手は、私に情けも助けも共感もしてこなかった。

私は今、相手と同じことをしている。

私はそれを復讐したくてしてるのではない。

同じことをして、相手に思い知らしめたい、

などと思ってやっているわけではない。

 

私が今していることは、実は相手が私にしてきたことだと言うことを、

相手は一生気づかないと思う。

それでいいと思う。

私だって、相手に気づいて欲しくて、やっているわけではないのだから。

 

私が情けをかけない理由は、

単純に、したくないからだ。

もう、相手の顔色を伺いたくないからだ。

オドオドして、暮らしたくないからだ。

情けをかけて、同情して、相手を助けて

その場しのぎの毎日を過ごしたくないからだ。

 

自ら非情になるのは、最初は戸惑った。

怖かった。

相手の前でも、思わず声が震えそうにもなった。

 

今は、だいぶ慣れてきた。

板についてきた感じもする。

私は平穏な気持ちを保つために、

自己防衛を身に着けなければいけないのである。

そして、この非情になることが、

私にとってはかなり有効な自己防衛だと思っている。

 

自己愛性人格障害者に対しては、情けは無用だと思う。

きっと私のように、自己愛性人格障害者から

被害を受けている(受けていた)人には

わかってもらえるのではないか?

そう信じている。