自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

親権について

離婚において最大の難関は親権であると思う。

私が住んでいるこの国は、共同親権が普通である。

つまり、単独での親権はかなり異例ということになる。

 

私は単独での親権を希望している。

そのことは、一番最初に知り合いの弁護士さんを訪れたときから

その旨を伝えてある。

 

かなり難しいよ…と弁護士さんから言われている。

分かってます。でもそれ以外は考えてません。

それが私の答えである。

 

そもそも単独親権を希望した時、私は相手から養育費をもらうつもりはなかった。

相手にお金のないのは分かっていたので、そこで時間が掛かりたくなかったからだ。

それに、僅かながらの相手の養育費により、

子どもたちにあれこれとこれ以上関わって欲しくはなかった。

もちろん、私にも関わってきてほしくはない。

お金以上に、大事なものが私にはある。

相手のお金に頼ったことなどなかったので、相手のお金など不必要なものだった。

弁護士さんにそう伝えたとき、

それなら単独親権も出来るかもしれない、と言われた。

 

相手は子どもたちを利用する。

子どもたちを使い、相手は私を脅す。

子どもたちは俺のものだ!

日本には、行かせない!

 

出国禁止命令(ストップリスト)をかけられている子どもたちは、18歳になるまで、

相手の了承がない限り、私が日本に連れて帰ることは許されない。

このストップリストを掛けることによって、

相手は結婚生活を維持し、体面を保っていきたいのだ。

そして、子どもたちにお金が掛かる年齢になってから、離婚を了承するか、

もしくはその頃には私が年をとって思うような仕事につけないことを予想して、

私が離婚を諦めると思っているのかもしれない。

さらに言えば、その頃には私の実母がこの世からいなくなることを予想して、

私の実母の、はたまた実家からの遺産が入ってくることを

期待してるのも間違いない。

 

自己愛性人格障害者は、金にがめつい。

他人のお金も自分のものだと主張する。

家族という言葉を使い、俺にも権利がある!と主張する。

実際、私が毎夏子どもたちを連れて日本に帰っていた時、

俺も日本に行きたい!と何度となく、ついてきたことがあった。

俺の飛行機代もお前の母親が払うんだろ?

だって、俺も息子なんだから!

と相手は言い放った。

 

私は、母親に飛行機代を出してもらっていたことを常に申し訳なく思っていた。

だから、自分が少しばかりではあるが仕事を始め、

僅かな収入を得るようになってからは、

なるべく自分と子どもたちの飛行機代を捻出していた。

相手は、それを非難し、私にこう言い放った。

お前の母親に払わせろよ!

老人なんだから、大して金を使うところもないだろ?

それに、大事な孫に金を使うのが当たり前だろ!

俺だって、大事な息子だからな!

 

なんてひどい考えの持ち主だろう!と、私は思った。

私は、このとき辺りから、離婚を考え始めていた。

実家の母親に申し訳なく思った。

こんな相手と結婚した自分に幻滅した。

子供たちにも申し訳なく思った。

離婚を考え始めていたとは言え、

子どもたちは俺のものだ!と常に脅されていたので、出来ないでいた。

 

 

相手は、ストップリストを子どもたちに掛けたことで、

子どもたちがこの国に留まらなきゃいけないのを勝利と見ている。

 

子どもたちは俺のものだ!と常に叫ぶ。

お決まりの言葉として使ってくる。

 

しかし、私はもう恐れていない。

脅しであることが分かっているからだ。

私は恐れず動じず、どうぞ!と言う。

もちろん嘘だ。

でも、子どもたちを自分のものにして、困るのは相手だ、

というのを私はよく知っている。

 

相手は何もできない。

仕事もない。

人脈もない。

家事ももちろんできない。

お金もない。

何も知らない。

 

知ってるふりだ。

できるふりだ。

人気があるふりだ。

家事ができるふりだ。

 

全ては虚構であり、妄想である。

 

相手は何もできない。

脅すだけだ。

ストップリストを掛けたことで、子どもたちを、そして私を、

相手から去らないようにしてるだけだ。

 

全ては自分の体裁を保つため。

立派な父親、愛される夫、幸せな家族と言う自分の幻想を見続けるために。

そして、楽をして、お金に困らない安定した生活ができるように。

 

 

私は親権を争うが、相手も争うものなら、引くことを考えている。

相手が共同親権を望むと言うことで争うなら、私は敢えて身を引く考えである。

 

つまり、共同親権なら、私は親権を放棄するということも考えている。

 

これは危険であるのはわかってる。

 

私がこう言ってしまえば、裁判所も相手に親権を上げるかもしれない。

 

裁判所は、子供の幸せを最大限に考慮して判決を出すと言われている。

私は、それを信じている。

 

共同親権?

笑わせるんじゃない。

相手は何もしてこなかった。

喚き散らし、子供に暴力もふるった。

自分の思い通りにならないと、精神的にも肉体的にも私達を追い詰めた。

子どもたちは、ことごとく否定され続けてきた。

それが、親の愛とでも言うのか?

 

私が一人で子どもたちを育ててきた。

相手は協力などはしてこなかった。

私の育て方を常に否定し、しかし相手は何もしてこなかった。

子育てに参加してこなかったことで、

全部お前の子育てが悪いんだ!

と、私に全ての責任をなすりつけてきた。

 

私は、自分の子育てに、子供たちに責任を持つ。

だから、私は単独親権を希望する。

 

相手は、子どもたちを盾にして、離婚を阻止しているだけである。

子どもたちに責任を持っていない。

全ては自分のため。

 

それが自己愛性人格障害者の、人に対する扱いである。

誰でも利用する。

自分の目的を遂行するために。

 

子どもたちの幸せなど、考えてはいない。

 

私は内に秘めた闘志を燃やし続けている。

私は負けない。

これは私だけの希望でもなく、子どもたちの希望でもある。

 

私と子どもたちは一致団結して、この戦いにいつか挑むことになるかもしれない。

相手が共同親権を、それでも望むなら…。

相手が共同親権を、それでも望むなら、私はしっかり、たんまり養育費を請求する。

 

相手はが共同親権という権利を振りかざすなら、

私も養育費という権利を振りかざすつもりである。

 

どんなに長い、過酷な戦いになろうとも、私は負けない。

 

私は子どもたちと、仲良く笑って暮らしたい。

 

これが私と子どもたちの願いである。