自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

出国禁止命令 弁護士さんからの提案

私が離婚したいと、相手に言ったところ、

相手は子どもたちを出国できないようにさせた。

日本で言うところの、

親子断絶防止法のようなものなのかもしれない。

 

ただ、こちらで言うところの、出国禁止命令は、

私が子どもたちを今住んでいるこの国から、

相手の同意なしに連れ出そうとしたら、

私が捕まる!というものである。

つまり、この禁止命令は、暗に

私は犯罪予備軍とでも言ってるようなものなのである。

非常に不愉快極まりない話である。

 

そもそも、私が離婚を伝えたとき、相手はしぶしぶながらも同意し、

私が親権を持ち、私の国で私と子どもたちが生活をし、

定期的に子供たちが相手の国に行き、時間を共にする、

ということで話がまとまっていたのだ。

これは、相手が私の弁護士さんにも伝えた内容である。

それを数日後、相手は一方的にこれを反故し、

この禁止命令を新しく依頼した弁護士に頼んで

取り付けたのである。

 

この禁止命令を解くには、相手が取り下げるか、

これから始まる離婚裁判の結果次第になる。

つまり、一度私に掛けられた禁止命令を解くのは、

今の段階ではほぼ不可能である。

 

相手は、絶対に解かない!と、もちろん言っている。

 

しかし、私の弁護士さんは、ここで動いてくれた。

 

私は子どもたちを連れて、毎夏、日本に帰っていた。

この国の夏休みは長い。

夏に、この国に残っていたとしても、

相手は子どもたちのために、どこかに連れて行くことはしない。

したとしても、本当に数時間くらいのことで、

その数時間のことでも相手は子どもたちに感謝しろ!と、要求までしてくる。

子どもたちを楽しませたい、という気持ちを、相手は持ち合わせていないのだ。

 

だから、私は子どもたちを日本に連れて行っていた。

相手も自分が飛行機のチケットを買うわけでないのだから、

特に止めはしなかった。

自分の懐が寒くならなければ、どうでもいいのだ。

子どもたちの面倒も見たくないことは明らかだ。

ただ、私がいないことで相手のことを世話をしてくれる人物がいなくなるので、

それに対しての暴言を日本に帰る前も、帰ってる間も、

戻ってきてからも、相手から私は言われ続けた。

 

このこともあって、私はかなり早い時点から、

自分のことを家政婦か奴隷と捉えるようになっていた。

 

私の弁護士さんは、この点を重視した。

私はいつも日本に子どもたちを連れて帰っている。

離婚する意思がすでにあったのなら、

今までに何度でも、またいつでも子どもたちを連れて帰り、

こちらに戻ってこないことはできたはずだ。

しかし、私はそれをしなかった。

試みようともしなかった。

それはひとえに、ちゃんと離婚に向き合う意志と決意があるからである。

子どもたちも、毎夏、日本で楽しんでいる。

子どもたちの祖母を初め、親戚、友達などにも恵まれている。

子どもたちのために、夏だけでも、禁止命令を一時的に解除することを希望する。

という要請を裁判所にしたのである。

 

これに、裁判所も賛成した。

裁判所は相手の弁護士にこれを伝え、相手の弁護士も了承した。

 

夏だけでもゆっくりしてくると良いよ!と、

私の弁護士さんは笑顔で言ってくれた。

 

そして、私の弁護士さん、相手の弁護士、そして裁判所の三者が、

この取り決めを交わす日がやってきた。

5分で済む作業だから、

とのことであった。

本来なら。

 

しかし、相手はこの日、裁判所に乗り込んできた。

相手も私も裁判所に行く理由は、この日はなかった。

すでに決まったことを、三者で確認し合う簡単な作業のはずだった。

 

私の弁護士さんはもちろん、相手の弁護士もとても驚いたらしい。

相手は、

これでは私が本当に戻ってくるとは限らない!

人権侵害だ!

などと騒ぎ出したそうだ。

裁判所も相手の弁護士も、相手をなだめた。

これは一時的解除だから、これを私が破ったら

私が捕まるから!と、何度も何度も説明したそうだ。

それでも相手は首を立てに振らなかった。

 

終いには、

政府からの手紙が欲しい!と、言い出した。

政府とは相手の国の政府からの手紙だそうだ。

子どもたちが取られないために、政府からの保証が欲しい!と。

みんな呆れた。

それは出来ない、となんとか説明した後で、次は

ならば、私が保証金として、一千万円を置いていくように!と、言い出した。

 

一千万!!!

どこの大富豪なんだ、私は?

 

私の弁護士さんは、更に呆れた。

みんな呆れた。

相手の弁護士も、そんな馬鹿な金額設定はない!と言っていたそうだ。

それでも、相手は考えを改めなかった。

 

結局、相手がこの一時的解除を了承しない、という理由で、

私達の夏の日本行きは再び白紙となった。

 

私の弁護士さん曰く、裁判官からの相手の印象はかなり悪くなった、

とのことだった。

でも、結局、自国の国民が有利だ。

私はついに抑えきれず、弁護士さんに言った。

 

それでも、外人の私は信じてもらえないんでしょうね。

それと、ここで私に一時的解除を与えて、

相手の言ったとおりにもし私が子どもたちを連れ出したままにして、

戻らなかったら、裁判官たちも上司から咎められたり、最悪、仕事を失うんでしょ?

だから、子どもたちのための判決というのは、単なる建て前で、

本当は自分たちのクビが掛ってくるから、

出国させないほうが得策って思ったんでしょ?

 

こんなことを言ってしまい、知りあいである弁護士さんと

決別してしまうかもしれない‥と、思ったが、私はもう我慢の限界だった。

 

弁護士さんは、それでも私に優しかった。

そして、こう言った。

悲しいけど、それはあり得る。

結局、自分が出した判決が間違ったら大変になるだろうからね。

だから、安全策を取ったのかもしれない。

 

私は、言った。

私は、裁判所とも戦ってる気がする。

私は、裁判所を信じない。

 

私の弁護士さんは、私をなだめるようこう言った。

必ず、最後は君の望む通りになるから。

もう少し我慢してほしい。

 

私は弁護士さんは信じてるけど、

裁判所はとても苦手で嫌いな場所になっていった。

差別的な扱いをされたと思った。

そしてそれを屈辱的に思った。