自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

結婚して

結婚して、最初の4年間は、お互いにとって母国ではない

英語圏のとある国に住んでいた。 

結婚してすぐに子供ができ、それから数年して、相手は

相手の国に引っ越さないか?と提案してきた。

 

結婚するときに、この英語圏の国で住むと約束していた。

 

それは、どちらかの国に移住したら、

片方がホームシックになったりして、

悲しい思いをするから、やめようと決めていたことだった。

 

しかし、私は相手の提案に了承した。

 

それは、相手の国はとても子育てに向いていると思ったことと、

相手の夢を応援し、支えていきたい、と思ったからだ。

 

相手には夢があった。

しかし、その夢を叶えるために、当時住んでいた国よりも、

まだその事業がさほど浸透していない相手の国に行って、

やってみたい、ということだった。

夢を叶えて相手が充実した毎日を送ることは、私の幸せであり、

家族の幸せであると、そう信じていた。

 

当時の私は、相手の才能を信じていた。

彼はとてもすごい人だ!

でも、その才能を開かせることなく、

異国でくすぶってしまっている、

 

妻である私がサポートしないで、誰ができる?

私は本当に相手の才能を信じ切っていた。

 

相手の国は自然豊かで、ゆったりとした環境でもある。

子育てするにも、悪くないと思った。

 

引っ越しは私も賛成だった。

 

 

あそこで引っ越しをしなければどうなってたのかな?って思う。

引っ越しをして、国を変えて、生活を変えて、

そこから全てがどんどん変わっていった。

 

離婚を決意するまで、引っ越してからさらに10年近い

年月を要した。

 

きっと引っ越さなくても、同じ結論になっていたと思う。

場所が変わろうが変わらなかろうが、モラハラは、

遅かれ早かれあったであろう。

 

おそらく引っ越したからこそ、

早くモラハラに気づけたのかもしれない。

10年近く、離婚を決意するまで掛かったが、

この結婚はオカシイ、未来がない、将来がない、と、

思うようになったのはそれよりも5年ほど前からだった。

 

 

目をつぶってきた。

もしかしたら、ちゃんとしてくれるかもしれない、と。

子どもたちがもう少し大きくなったら、変わるかもしれない、と。

明日は機嫌がよくなるかもしれない、と。

相手の望んでいる仕事に次こそは就けるかもしれない、と。

私や子どもたちに対する接し方がいつか変わるかもしれない、と。

 

ずっと待っていた。

それは、相手をそれでも信じていたからだ。

こんな人ではない、と、そう自分に言い続けてきた。

ずっと耐えてきた。

ずっとサポートしてきた。

 

でも、もうしない。

 

だって気づいたから。

目覚めたから。

洗脳から解けたから。

 

私は自分が壊れる寸前まで来ていたと思う。

精神的にも肉体的にも。

 

気づけてよかった。

私はもうふり返らない。

この人を、もう信じない。