自己愛性人格障害と国際離婚

自己愛性人格障害者と離婚する決意をしながらもまだまだ決着がつかない海外在住者の独り言です。

夏休み

夏休み。

私は子どもたちと日本へ帰省した。

 

相手が、子どもたちをこの国から出さない命令を取り付けたせいで

(正確には、私が子どもたちをこの国から連れ出すことを禁止されている)

去年は帰れなかったが、今年は裁判所から夏の帰国を許されたので、

帰ることができるようになった。

 

今年の初めから、正社員として働き出した私は、

上司に有給を全て夏に使いたい!と申し出た。

 

上司は、不可能な申し出ではないが、かなり異例なリクエストだから、

理由を知りたい、とメールしてきたので

私は、明確に、そして淡々とその理由をメールした。

 

現在、離婚裁判中です。

私が離婚したい方です。

相手は離婚したくないそうです。

相手は、私が子どもたちを日本に帰せないようにしましたが、

私の弁護士さんが裁判をやり直してくれたおかげで、夏の6週間は、

私と子どもたちは日本で過ごしていいことになりました。

でも、これはあくまでも、私のプライベートでの問題ですので

私が最大限有給消化することが、問題であるならば

申請は通さないで結構です。

理由を、と、問われたから述べただけであって、

無理ならもちろん諦めますし、子どもたちも納得しています。

 

入って間もない社員が、そんな無理なお願いをしてはいけないのは

十分理解していた。

正社員として会社にいられるほうが、私にとってはとても重要なので、

申請は通らなくても良い、と考えていた。

 

上司から、間もなくメールが届いた。

 

あなたの申請は、私の一存で認めます!

子どもたちと日本で楽しんで来なさい!

 

涙が出そうだったが、仕事中なので泣かなかった。

すぐに、子どもたちに連絡をした。

 

帰れるよ!

 

子どもたちはこの上なく喜んでいた。

 

有給は、3週間もあった。

すべてを使い切った。

子どもたちのしたいこと、行きたいとこ、全部をやり切った。

 

実家の母もとても喜んでいた。

子どもたちが寝てから、

もしくは子どもたちが起きる前、

私は母とたくさん語り合った。

 

とにかくこれからのこと。

過去は振り返らず、これからのこと。

子どもたちを幸せにすること。

その話に終始した。

 

母は、私の体調を心配していた。

離婚裁判中で、突然正社員で働き出し、家での内職もする私を

心配していた。

 

私は、笑いながら答えた。

 

お母さん、私、、大丈夫だよ。

元気だよ。

確かに仕事はまだ慣れてないから、疲れるけど

でもすごく元気だよ。

昔のほうが、体調良くなかったよ。

今のほうが元気だよ、ほら、少し太ったでしょ?

 

母は、私をマジマジと見た。

 

あら、そうね。

ちょっと肉付き良くなったわね!

 

私と母は、笑い転げた。

今までは辛くても隠していたから、全ては嘘の笑顔だった。

今は、それがない分、心から笑えた。

母も恐らくそうだったんだと思う。

私が幸せではないのを、本当は早くから気付いていたと思う。

でも、我慢して言わない私のせいで、母は何も訊けずにいた。

 

今はズケズケ訊いてくる。

私もズバズバ答える。

そして、私達は笑い飛ばした。

 

母は、言った。

もう今までのことは、いいから!

これからよ!これからが大事!

 

私は先のことを考えられるようになった。

それは本当に凄いことだと思った。

 

3週間の日本滞在は、とても密度の濃いものであった。

私にとっても、子どもたちにとっても。

そして、私達の帰りを待ちわびていた母にとっても。

 

上司に感謝である。

母に感謝である。

そして、子どもたちに感謝である。

私は幸せ者だなぁ、と心から実感した。

 

お母さん、夏休み、すごく楽しかったよ。

ありがとう!!!

 

子どもたちの笑顔が本当に嬉しかった。

 

こちらに戻ってきてから、母からのメールが届いた。

いつでも愚痴っていいからね。

なんでも聞くから。

 

こちらに戻って、また決意を新たにした。

さて、また離婚裁判頑張るぞ!という決意を。

 

そして、次に日本行きのチケットを買うときは

3人分の片道チケットだぞ!

と、自分に強く誓った。

自己責任という言葉の呪縛

私は元々、愚痴を言うのは好きではない。

愚痴を言うくらいなら、改善策を探したいと思っているからだ。

愚痴を誰かに言うこともしてこなかった。

そんな時間がもったいないし、

愚痴を言ったところでスッキリなんかしないからだ。

もちろん、愚痴を聞かなきゃいけない人にも申し訳ないと思ってた。

だから、愚痴はあまり言ったことがなかった。

言ったとしても、愚痴には聞こえないように、

くだらないギャグみたいにして、一人でおちゃらけて、笑い飛ばしていた。

私の心の声は、誰にも言ってこなかった。

それは、こういう自分の性格に依るものであったが、他にもあった。

 

それが、自己責任という言葉であった。

 

結婚して、自分が明らかに不幸であること、

逃げ出せない迷路に迷い込んでしまったことは、

かなり早い時点で気付いていた。

でもなんとかなる!

なんとかしてみせる!と、強く思っていた。

子供たちのために。

それだけを思っていた。

だって、自分がしたことだから。

自分がこの相手を選んでしまったのだから。

自分の責任だから。

 

これが、この言葉が、どんどんどんどん重荷になっていた。

周りに、誰かに相談したい、と思ったことも何度かあった。

でも、いつもおちゃらけていた私には、それをするのが怖かった。

 

そして、こう言われるのが嫌だった。

 

でも、自分で決めたことだからね。自己責任だよね。

 

言われたことも、実際あった。

 

私は、それからもう何も、誰にも言えなくなってしまった。

 

おちゃらけて、毎日の生活をギャグにして笑い飛ばすのも、

日に日に嫌になっていた。

 

人と会うのも、嫌になっていった。

 

どうせ自己責任。

どうせ、わかってくれない。

そう、自分が全部悪い。

 

そう思うようになっていた。

 

感情をなくした。

嘘の笑顔がうまくなった。

適当に話を合わせるのがうまくなった。

 

私は、自分のことを人形だと思うようになった。

何にも感動しなくなった。

 

嬉しいことがあっても、本当はどうでも良かった。

 

嬉しいとか、楽しいとか、なくなった。

 

私は、これで生きるしかない。

そう心に決めた。

でも、子どもたちが気がかりであった。

 

私は、自己責任だろう。

でも、子どもたちにその責任はない。

 

なぜ、子どもたちが苦しまなきゃいけないんだ?

それも、私の自己責任の結果によるものなのか?

 

苦しかった。悩んだ。

誰かに聞いてほしかった。

 

2年前、日本に戻っているとき、相手からのモラハラメッセージが届き、

私の顔が豹変したことを、私の母は見逃さなかった。

 

母は薄々勘付いていた。

でも、私が何も言わなかったから、母も何も訊けないでいた。

 

私は、自分が手術したこと以外の話を全部、母にした。

私は、淡々と母に話した。

感情をなくした私には、こんな話で感情が揺さぶられることはなかった。

母は驚愕し、狼狽した。

 

すぐに別れなさい!

と、私に言った。

 

そこで、私の感情が出てきた。

怖いという感情が出てきた。

 

私は、母に訊いた。

そんなこと、できるのかな?

別れるなんて、出来るのかな?

 

母は表情を変えず、こう言い切った。

出来るのかな?じゃなくて、するんです!

 

それを機に、私は信頼している人に話をするようにした。

 

誰も私に、自己責任などと、言わなかった。

離婚しなさい!と、みんなが言った。

今まで、よく耐えた。

もう充分だよ。

これからは、自分を大事にしてよ!と言ってくれた。

 

私は、自己責任だから、離婚できないと思ってた。

 

でも、今の私はこう言う。

私は、自己責任で離婚する、と。

 

結婚してしてしまったのも、私の自己責任なら、

その相手を見限って離婚したいと思うのも、私の自己責任だ。

 

自己責任と言う言葉に悩まされていた。

 

この言葉は、今でもあまり好きでないかもしれない。

 

でも、もし誰かが離婚を決意した私を詰るなら、

離婚するのは、私の自己責任!と堂々と答えたい。

 

子どもたちが可哀想!と言おうものなら、

それも、私は責任持ってやる、と答える。

 

子どもたちが可哀想、なんて、本当は赤の他人には言われたくないけどね。

そういうこと言う人も、その発言に是非、責任を持って欲しいけどね。

 

 

私は、感情を取り戻し、毎日の変化に敏感になった。

楽しいことが増えた。

子どもたちと、心から笑うことができるようになった。

 

離婚はまだまだ出来てないけど、

それも自己責任で頑張るしかない!

 

自己責任と言う言葉に悩まされていた。

そのせいで、色々と思いとどまってしまっていた。

 

でも今は、それを逆手に取るくらいの強靱な精神を、

私は持っている。

 

自己責任で、色々やってやる。

やってみせる。

 

 

 

ついに届いた離婚申請書

3月中旬に、裁判所に提出した離婚申請書は、

かなりの時間を掛けて、ついに相手のもとに届いた。

本来なら、数日後に届けられるはずなのだが、

配達人が忙しかったらしく、なかなか家まで届けに来てくれなかった。

その間、約三週間。

イースターを祝うこの国では、週末を含めて、私は5日間の休暇があった。

年末年始の休暇同様、私と子どもたちは、家を飛び出し、

ホテルで楽しくのんびりと休暇を楽しんだ。

 

この3週間の間にも、相手の言葉の暴力は勢いを弱めることはなかった。

 

きっと、私が離婚しないと思ったのだろう。

職を得た私が、離婚して、日本に帰って、

仕事をまた見つけるなどという苦労をするなんて、

そんな愚かなことはしないだろうと思ったのかもしれない。

もしくは、やはり俺のことを理解したのだろう、と思ったのかもしれない。

俺は正しい、お前は自分の愚かさに気づいたのだな!

とでも、思ったのかもしれない。

 

いや、これらすべてをきっと思ったであろう。

それが自己愛性人格障害者なのだから。

常に自分が正しい、相手の気持ちなど考える能力は持ち合わせていない。

滑稽なのは、本人は、相手の気持ちを常に考えている、ということだ。

俺ほど、人のことを考えている人間はいない!

俺ほど、寛大で心優しい人間はいない!

それを本気で信じている。

そういう人間なのである。

 

離婚申請書がなかなか届かないことに、

私も子供たちもソワソワ、イライラしてきていた。

毎日、今日かもしれない‥とドキドキしながら生活してきたが、

ここまで届かないと、一体いつ来るのか?

と、ドキドキがイライラに変わっていった。

 

つまり、私も子供たちも、既に準備完了、準備万端!

という心境になっていたのだった。

 

弁護士さんから連絡があった。

明日、配達人が必ず届ける!って‥と。

 

離婚申請書が届く日の朝、

相手はいつも通り、私に意味不明の怒りを向け、悪態をついた。

 

酷い女だ!

お前みたいなのが母親で、子供たちが可哀想だ!

 

私は、こう言った。

 

そっかー!!!

こんな女じゃ早く離婚したいねー!

早く別れなきゃねー!

バイバイ!

 

相手は黙った。

今更、黙っても後の祭りだ。

 

そして、その日の夕方、配達人がついにやってきた。

私は、ちょうど家に向かう途中であった。

見慣れない車が家の前に停められていた。

配達人だ!

私はすぐに理解した。

すぐさま、今来た道を引き返し、

近所をぐるぐる遠回りをしてから、家に戻った。

 

家に戻った私を見ても、相手は黙っていた。

怒るでもなく、叫ぶでもなく、静かであった。

そして暫くして、家から出ていった。

 

相手がどんな気持ちかなんて、どうでもいい。

そんなことを考えたところで、その時の気分でコロコロ変わるのだから。

 

なぜなら、自己愛性人格障害者は、自己が確立されてないのだから。

 

ただ分かるのは、あらゆる手段を使って、離婚を阻止してくることだ。

 

また、脅すかもしれない、泣き落としをしてくるかもしれない。

 

脅されても、懇願されても、何も響かない。

 

私は、相手が私に散々言ってきた

酷い女を貫くだけだ。

 

酷い女で結構である。

 

さぁ、ついに始まった。

離婚の幕が切って落とされたのである。

離婚申請提出

2018年3月22日、ついに離婚申請を裁判所に提出した。

 

正確には、私の弁護士さんが提出をしたので、

私は外見上ではいつもと変わらない一日を過ごした。

 

提出する前の日、弁護士さんから連絡があった。

明日、提出すると。

 

そして、その日の今日、私は仕事をしながらも、

今か今かと弁護士さんからの連絡を待っていた。

 

お昼になる少し前、メッセージが届いた。

裁判所に提出したからね!と。

暫くして、私のこの離婚申請書は、相手に届くことになる。

郵送ではなく、直接手渡しで渡されることになる。

相手にそれが手渡され、相手が受理したら、

私のところに弁護士さんから連絡が入ることになる。

確実に手渡された、という情報が申請した側の弁護士と申請者に伝わる、

という仕組みである。

 

早ければ明日かもしれない。

明日でなければ、来週になることだろう。

 

相手は、私が離婚申請をしても、とことん長引かせてやる!と常に脅してくる。

長引かせたいなら、そうすればいい。

 

とにかく受理はされた。

 

時間が掛かっても、離婚はいつかできるし、することは、

これで間違いなくなったのだ。

 

離婚を回避する権利は裁判所にはない。

争うとしたら、どちらに非があるか、ということらしい。

そこを相手は争ってくるかもしれない。

それならそれで構わない。

 

私の中で、今日は一つの区切りとなった。

長引くことは想定されるが、それでも私の中では一つの区切りとなった。

受け取ったときの相手の反応が、正直怖い。

しかし、先に進まなければいけない。

 

子供たちにも、提出する前に確認した。

子どもたちは、私に賛成だった。

提出された後、私はご近所さんや友達に連絡した。

私一人ではここまでできなかったと思う。

 

みんなが応援してくれる。

みんなが心配してくれる。

頑張らないといけない。

離婚を告げてから、一年が経ってしまった。

 

やっと離婚申請できた。

 

次のステップに進める。

 

怖いけど、それでも気持ちは落ち着いている。

 

 

 

滞在許可証問題

外国に住む私は滞在許可証が必要であり、その更新が迫っていた。

今までは相手の配偶者として、滞在許可証を更新してきた。

離婚の決意を固めている私は、相手の配偶者として更新するのは、

如何なものかと思っていた。

 

相手は私と離婚したくない。

相手は、それだからこそ、自ら進んで私の滞在許可証を更新するのか、

はたまたそれを理由に脅すのか?

相手がどう出てくるのか、気になっていた。

 

私は弁護士さんのところに赴いた。

相手の出方次第ではあるが、

なるべく相手の協力を借りずに更新するのがベストだ、

という考えに纏まった。

 

私と弁護士さんは、

離婚申請中の、この国の国民である子どもたちの母親である身分として

滞在許可証を更新する準備を始めようと決めた。

 

つまり、滞在許可証の更新申請をするときには、

離婚申請も裁判所に提出しようと考えていた。

 

滞在許可証は、子供がいる身であれば、降りるのはわかっていた。

ただ、私が気になっていたのは、その場合で更新する時に、

どのくらい自分に銀行の残高証明がなければいけないか、

そのことであった。

 

ある程度のお金が入っていないと、一人で、子連れで、

どうやって暮らしていくのか? と

疑われ、簡単に降りるはずの滞在許可証に時間が掛かってしまいそうで、

それが気がかりであった。

 

相手は私が離婚申請を間もなく始めようとしているとは知らない。

こちらも悟られないように過ごしている。

 

そろそろ滞在許可証の更新申請をしなきゃいけない時期が近づいてきた時、

相手は言った。

 

俺は今回は更新するための申請書にサインできない。

俺は無職だから、残高証明が出せないし、もちろん会社からの手紙もないから。

 

無職は事実だ。会社からの手紙もないのも事実だ。

しかし、相手は残高証明は出せるはずである。

配偶者を扶養する主して、申請するにはそれは出さなくてはいけないものなのだ。

 

相手は、自分の残高が今どのくらいなのか私に知られたくないのだ。

だから、それを出したくないのだ。

 

お前はどこかで仕事でも見つけて、会社に保証してもらえよ!

と、相手は言い放った。

 

俺は特別な職種だから、見つけにくいけど、

お前なんて、なんだって、どこだっていいだろ!

それができなかったら、お前は日本だな。

子供には会えなくなるな!

でも、お前が離婚しないって言うなら、なんとか申請を手伝ってやってもいいぞ!

 

想像していた通りの態度であった。

相手は、滞在許可証を脅しに使うだろうと私は早くから踏んでいた。

やっぱリそうきたか‥と思った。

 

よし、離婚申請を提出だ!

私の残高証明で、滞在許可証が引っかかるかもしれないが、他に道はない。

離婚申請を始めなきゃ!

私は腹を括った。

 

その時、私に思いもかけない話が舞い込んできた。

 

年末に日本人の正社員の募集をかけていた、とある会社から連絡が来たのだ。

私は、そこの会社にダメ元で履歴書を送っていた。

でも、年が明けても連絡がなかったので、諦めていた。

 

ここで、この話が纏まれば、私の滞在許可証問題はクリアできる!

私は飛びついた。

数回のインタビューを経て、私の採用が決まった。

 

会社が、私の滞在許可証の申請書にサインをした。

 

弁護士さんに連絡をした。

 

会社が保証になってくれました。

今すぐ離婚申請をして、離婚申請中の身として、

滞在許可証の更新をしたほうが良いでしょうか?

それとも、今はまだ婚姻関係継続中で出したほうが良いでしょうか?

 

どちらでも構わないけど、離婚申請をしたら、

相手にもちろんその連絡が行くから、相手が怒り狂って

どんな反応をするか分からない。

滞在許可証を更新しなきゃいけないのは事実だから、

今はとりあえず婚姻関係継続中で出したほうが得策だと思う。

 

これが弁護士さんの回答で、私もそれに同意だった。

 

仕事が決まったのは、私にはとても大きなことである。

家でほそぼそと働いていたとはいえ、

そんなのは大したことにはならないのは知っていた。

 

しかし、大手の会社で正社員となれば話は違う。

 

相手はもう6年近く無職である。

家のことをするわけでもない。

 

これからの離婚裁判、親権問題を考えて、

外国人の私は、相手よりもすべての面で上回っていたい。

 

自国の国民に裁判官は、多めに見るのは知っている。

外国人には、特にこっちが何も悪くなくても、

疑いの目で見ているのを、今までの裁判でよく知っている。

 

だからこそ、私は、相手に負けてはいけないし、

裁判官にも強く出れる術を身に着けなきゃいけないのだ。

 

相手は、自分の残高証明を出さずに済んでホッとしている。

そして、私が働くことによって、私がこの国に留まり、

離婚はしないと思い始めている。

 

いいや、私は、確実に離婚する。

まずは、滞在許可証の申請をして、

そして、最初のお給料が出て、

それで、離婚申請をするんだ。

 

そして、先月、最初のお給料が入った。

新しい滞在許可証が届くのは、まだ先ではあるが、

滞在許可証が確実に降りることは、知り合いのツテを使って確認した。

 

だから、もう次の一手に出たいのである。

 

離婚申請を早くしたい。

 

親権について

離婚において最大の難関は親権であると思う。

私が住んでいるこの国は、共同親権が普通である。

つまり、単独での親権はかなり異例ということになる。

 

私は単独での親権を希望している。

そのことは、一番最初に知り合いの弁護士さんを訪れたときから

その旨を伝えてある。

 

かなり難しいよ…と弁護士さんから言われている。

分かってます。でもそれ以外は考えてません。

それが私の答えである。

 

そもそも単独親権を希望した時、私は相手から養育費をもらうつもりはなかった。

相手にお金のないのは分かっていたので、そこで時間が掛かりたくなかったからだ。

それに、僅かながらの相手の養育費により、

子どもたちにあれこれとこれ以上関わって欲しくはなかった。

もちろん、私にも関わってきてほしくはない。

お金以上に、大事なものが私にはある。

相手のお金に頼ったことなどなかったので、相手のお金など不必要なものだった。

弁護士さんにそう伝えたとき、

それなら単独親権も出来るかもしれない、と言われた。

 

相手は子どもたちを利用する。

子どもたちを使い、相手は私を脅す。

子どもたちは俺のものだ!

日本には、行かせない!

 

出国禁止命令(ストップリスト)をかけられている子どもたちは、18歳になるまで、

相手の了承がない限り、私が日本に連れて帰ることは許されない。

このストップリストを掛けることによって、

相手は結婚生活を維持し、体面を保っていきたいのだ。

そして、子どもたちにお金が掛かる年齢になってから、離婚を了承するか、

もしくはその頃には私が年をとって思うような仕事につけないことを予想して、

私が離婚を諦めると思っているのかもしれない。

さらに言えば、その頃には私の実母がこの世からいなくなることを予想して、

私の実母の、はたまた実家からの遺産が入ってくることを

期待してるのも間違いない。

 

自己愛性人格障害者は、金にがめつい。

他人のお金も自分のものだと主張する。

家族という言葉を使い、俺にも権利がある!と主張する。

実際、私が毎夏子どもたちを連れて日本に帰っていた時、

俺も日本に行きたい!と何度となく、ついてきたことがあった。

俺の飛行機代もお前の母親が払うんだろ?

だって、俺も息子なんだから!

と相手は言い放った。

 

私は、母親に飛行機代を出してもらっていたことを常に申し訳なく思っていた。

だから、自分が少しばかりではあるが仕事を始め、

僅かな収入を得るようになってからは、

なるべく自分と子どもたちの飛行機代を捻出していた。

相手は、それを非難し、私にこう言い放った。

お前の母親に払わせろよ!

老人なんだから、大して金を使うところもないだろ?

それに、大事な孫に金を使うのが当たり前だろ!

俺だって、大事な息子だからな!

 

なんてひどい考えの持ち主だろう!と、私は思った。

私は、このとき辺りから、離婚を考え始めていた。

実家の母親に申し訳なく思った。

こんな相手と結婚した自分に幻滅した。

子供たちにも申し訳なく思った。

離婚を考え始めていたとは言え、

子どもたちは俺のものだ!と常に脅されていたので、出来ないでいた。

 

 

相手は、ストップリストを子どもたちに掛けたことで、

子どもたちがこの国に留まらなきゃいけないのを勝利と見ている。

 

子どもたちは俺のものだ!と常に叫ぶ。

お決まりの言葉として使ってくる。

 

しかし、私はもう恐れていない。

脅しであることが分かっているからだ。

私は恐れず動じず、どうぞ!と言う。

もちろん嘘だ。

でも、子どもたちを自分のものにして、困るのは相手だ、

というのを私はよく知っている。

 

相手は何もできない。

仕事もない。

人脈もない。

家事ももちろんできない。

お金もない。

何も知らない。

 

知ってるふりだ。

できるふりだ。

人気があるふりだ。

家事ができるふりだ。

 

全ては虚構であり、妄想である。

 

相手は何もできない。

脅すだけだ。

ストップリストを掛けたことで、子どもたちを、そして私を、

相手から去らないようにしてるだけだ。

 

全ては自分の体裁を保つため。

立派な父親、愛される夫、幸せな家族と言う自分の幻想を見続けるために。

そして、楽をして、お金に困らない安定した生活ができるように。

 

 

私は親権を争うが、相手も争うものなら、引くことを考えている。

相手が共同親権を望むと言うことで争うなら、私は敢えて身を引く考えである。

 

つまり、共同親権なら、私は親権を放棄するということも考えている。

 

これは危険であるのはわかってる。

 

私がこう言ってしまえば、裁判所も相手に親権を上げるかもしれない。

 

裁判所は、子供の幸せを最大限に考慮して判決を出すと言われている。

私は、それを信じている。

 

共同親権?

笑わせるんじゃない。

相手は何もしてこなかった。

喚き散らし、子供に暴力もふるった。

自分の思い通りにならないと、精神的にも肉体的にも私達を追い詰めた。

子どもたちは、ことごとく否定され続けてきた。

それが、親の愛とでも言うのか?

 

私が一人で子どもたちを育ててきた。

相手は協力などはしてこなかった。

私の育て方を常に否定し、しかし相手は何もしてこなかった。

子育てに参加してこなかったことで、

全部お前の子育てが悪いんだ!

と、私に全ての責任をなすりつけてきた。

 

私は、自分の子育てに、子供たちに責任を持つ。

だから、私は単独親権を希望する。

 

相手は、子どもたちを盾にして、離婚を阻止しているだけである。

子どもたちに責任を持っていない。

全ては自分のため。

 

それが自己愛性人格障害者の、人に対する扱いである。

誰でも利用する。

自分の目的を遂行するために。

 

子どもたちの幸せなど、考えてはいない。

 

私は内に秘めた闘志を燃やし続けている。

私は負けない。

これは私だけの希望でもなく、子どもたちの希望でもある。

 

私と子どもたちは一致団結して、この戦いにいつか挑むことになるかもしれない。

相手が共同親権を、それでも望むなら…。

相手が共同親権を、それでも望むなら、私はしっかり、たんまり養育費を請求する。

 

相手はが共同親権という権利を振りかざすなら、

私も養育費という権利を振りかざすつもりである。

 

どんなに長い、過酷な戦いになろうとも、私は負けない。

 

私は子どもたちと、仲良く笑って暮らしたい。

 

これが私と子どもたちの願いである。

 

 

 

 

 

 

 

滞在許可証と児童手当

国際結婚で海外在住の私にとって、この国に住むためには、

滞在許可証を保持している必要がある。

私のようにこの国の国民の配偶者として申請している者の

滞在許可の最長年数は、5年である。

そして、私の滞在許可証は今年の4月末で切れる。

この国に住むには、この滞在許可証を更新しなくてはいけない。

 

そのことを相手も良く知っている。

なぜなら、私はこの国の国民である相手の配偶者として申請しているのだから、

相手のサインや相手の勤め先からの証明書、及び相手の銀行口座の残高証明を、

滞在許可証の申請書と共に提出しなければいけないからだ。

 

そこを相手はついてきた。

 

お前が離婚を撤回しないなら、俺はお前の滞在許可証を更新しないからな!

お前は子どもたちを残して、日本に帰ることになるんだ!

 

実は私はこの件に関しては、事前に自分で調べていた。

この国の国民である私の子どもたちの母親として、

私は滞在許可証の更新ができるということを。

相手のサインも諸々も必要なく自分で申請できることは知っていた。

しかし、一つ大きな問題があった。

私一人でこのような形で滞在許可証の更新を申請すると、

恐らく、ほぼ間違いなく私の銀行口座の残高証明が必要になると思った。

しかも、その残高証明には、かなりのお金を用意しておく必要があると、

私は考えていた。

そこに関しての情報は不確かだった。

私はこのことをとにかく調べなければ、と思っていた。

 

年末が近づき、突然、相手が私に言った。

ここにサインしろ!

 

それは児童手当の申請書類であった。

この児童手当は、毎年1月末に、通常は母親の口座に入ってくる。

私の場合もそうである。

児童手当用に作った私名義の口座に、この児童手当が入ってくる。

その申請書にサインしろ!と相手は迫った。

 

私はこう返した。

 

いや、でも私は滞在許可証が年明けの4月末で切れちゃうから、

自分で申請できないから、もう帰るしかないから、

来年度からの児童手当は貴方の口座に入金されるように

したほうがいいよ!

 

相手は怒った。

 

これは子どもたちの大事な金なのに、なんでそんなことを言えるんだ!

母親の口座に入金されるのが一般的なんだ!

お前がサインしなかったら、子どもたちのお金がもらえないんだぞ!

 

いや、だからさ‥

と、私は再び返した。

貴方は私の滞在許可証を更新しないんでしょ?

だったら、私の口座にこの児童手当が入金されたら大変でしょ!

来年度からは、俺の口座に!ってお役所に伝えて、

その手続きしたほうがいいよ!

 

俺はちゃんとお前の滞在許可証を更新する!

約束するから、この児童手当の書類にサインしろ!

と、相手がこう言ってきたので、

 

なら、私の滞在許可証を更新する、という事を紙に書いてちょうだい。

と、私は言った。

 

しかし、予想通り相手は書かなかった。

 

自己愛性人格障害者は、証拠を残すことが嫌いだからだ。

 

だから、私も児童手当の書類にサインをしなかった。

 

相手は児童手当の役所に一人で赴いたらしい。

そして、自分の都合のいいように、役所の人に説明した。

私が頑なに児童手当にサインするのを拒んでると。

俺は滞在許可証を申請すると言ってるのに、

日本に帰る!と私が喚いている、と。

 

私は、役所に呼ばれた。

 

もうどうにでもなれ!と思った。

 

役所の女性は、電話でのやり取りの時よりも優しい感じがした。

どういうことなの?

あなたたちが、児童手当を貰おうが貰わなかろうが、私には構わないのよ。

でも、どうしてサインしたくないの?

貴方のご主人は、ちゃんと滞在許可証を更新する!って言ってるわよ。

大丈夫よ。

 

私は、思わず泣き出してしまった。

 

初対面の私のことなんて、ましてや外国人の私のことなんて、

きっと信じてもらえないだろうし、

信じてもらおうとも思ってません。

でも、私は主人との生活には耐えられないんです。

私は自分と子どもたちを守らなきゃいけないんです。

もちろん、子どもたちを残して日本に帰ることなんて考えてもいません。

サインしなかったのは、私ができる唯一の抵抗だったんです。

信じてもらえないでしょうけど。

 

と、泣きながら私はその女性に言った。

 

女性は驚いた。

 

私は続けて言った。

 

どうか、ここでの話を主人に言わないでください。

 

女性は更に驚いた。

私は、あまり主観的にならないように、

でも、私の身に起こっていることをその女性に話した。

 

女性は信じられないようだった。

私は信じてくれなくて構わない、とだけ伝えた。

 

女性は私を諭すようにこう言った。

 

貴女が児童手当のサインをして、

貴女の口座にこれからも入金されるようにしなさい。

貴女にこの権利があるのだから。

 

 

女性は続けてこう言った。

 

誰にも言わないから。

絶対に貴女の夫に言わないから。

貴女とお子さん達に幸せが来るように祈るわ。

 

そして、女性は私を強く抱きしめた。

私は、泣きじゃくった。

 

そして、私は児童手当の書類にサインした。

 

 

見ず知らずの、しかも初対面の、友達でもなんでもない人にまで、

私は自分の気持ちを抑えられなかった。

抑えるどころか泣きじゃくってしまった。

 

私の滞在許可証の問題は解決されていない。

相手は更新が迫るその日まで、脅したりしてくるのだろう。

 

でも、児童手当担当のこの女性に会えて嬉しかった。

 

この方は、後で私にこっそり電話をしてきてくれてこう言った。

 

滞在許可証の管轄の人に、今電話して問い合わせたんだけど、

貴女はお子さんの母親として、更新できるわよ。

強制送還など絶対にされないわよ!

 

私のことを心配してくれて、訊いてくださったのだ。

今度は嬉し涙が止まらなかった。

 

でもやっぱり、滞在許可証の問題は私の頭から離れずにいた。

なんとかしなくては‥と、気持ちばかりが先走っていた。